恵比寿
山種美術館では特別展、「日本の風景を描く―歌川広重から田渕俊夫まで―」が
開かれています。
会期は2023年2月26日(日)までです。

山種美術館の所蔵する、日本の四季や風景を描いた作品の展示です。
歌川広重 「東海道五拾三次之内 日本橋・朝之景」 1833-36(天保4-7)年頃

1月15日までの展示です。
南岸からの景色で、どちらのお大名でしょうか、毛槍と馬印を立てた大名行列の一行が
朝の日本橋を渡ります。
太鼓橋の形を上手く使っていて、お侍の武張った肘も描写されています。
手前の高札場の横では、日本橋の市場で仕入れた魚屋や八百屋の棒手振りが
商いに出かけるところです。
町の木戸は開けられ、遠くには火の見櫓も見え、いかにも江戸らしい鮮やかな風景です。
最初期の摺りで、雲も描かれています。
後の摺りでは雲は省かれています。
歌川広重 「近江八景之内 石山秋月」 1834(天保5)年頃

1月17日からの展示です。
近江八景は中国の瀟湘八景に倣って近江の琵琶湖周辺の景色を
八つ選んだものです。
紫式部は石山寺に籠って、琵琶湖の湖面に映る月を眺めながら、
源氏物語の想を練ったとされています。
左に石山寺の本堂、右に瀬田の唐橋、遠くに比叡山が見えます。
石山や鳰の海てる月かげは 明石も須磨もほかならぬ哉 近衛信尹
椿椿山 「久能山真景図」 1837(天保8)年 重要文化財


久能山は徳川家康を祀った久能山東照宮のある所です。
松林の下の参道を赤い着物のお坊さんと青い着物の従者がトコトコと
登って行きます。
真景図とは写生を元に描いた絵という意味ですが、この絵は上からと下からの
視点が混じっていて、東洋画の大らかさを感じます。
椿椿山(つばきちんざん:1801~1854)は槍奉行同心の子で、谷文晁や
渡辺崋山に学んでいます。
肖像画に秀でた画家で、渡辺崋山や高野長英の肖像画で有名です。
椿椿山は師の渡辺崋山にならって各地を旅行し、写生していて、この絵も訪れて
10年後に描いたそうです。
菱田春草 「釣帰」 1901(明治34)年

横山大観と菱田春草は日本美術院の創設に参加し、1900年頃からは光や空気感を
出すために輪郭線を使わないで描く技法を手掛けています。
輪郭線が無いため、ぼんやりした印象があり、当時は「朦朧体」と呼ばれ、
非難されています。
横山大観 「喜撰山」 1919(大正8)年

百人一首に載っている、喜撰法師の歌に拠っています。
喜撰法師は宇治に住んでいたとされます。
わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり
金箋紙(裏に金箔を押した鳥の子紙の表面を薄く剥いだもの)に描いた
最初の作品で、明るく温かい地色が映えています。
京都の土の赤さを表現するために使ったと考えられるそうです。
山元春挙 「火口の水」 1925(大正14)年

山元春挙(1872-1933)は円山四条派の画家で、応挙の孫弟子の森寛斎に学んでいます。
1907(明治40)年の文展の開設にあたっては竹内栖鳳らとともに審査委員を
勤めています。
日本画に西洋画の技法を採り入れ、立体感のある作品を生んでいます。
透明な青色の表現は春挙の特徴です。
佐伯祐三 「レストラン(オ・レヴェイユ・マタン)」 1927(昭和2)年

亡くなる前年の作品で、パリの小さなレストランを正面から描いています。
「レヴェイユ・マタン」とは「目覚まし時計」という意味で、壁に朝を告げる
鶏が描かれています。
佐伯の特徴の看板の文字や窓の中の様子も描きこまれています。
灰色の空の下、裏町の風情があり、人の暮らしの懐かしさを感じます。
日本画の美術館である山種美術館の所蔵する、珍しい洋画です。
川合玉堂 「春風春水」 1940(昭和15)年

川の急流に張ったワイヤーを使った渡し舟には農家の女性が乗り
、船頭が腰に力を入れて舟を操っています
岩場には山桜が咲き、満々とした蒼い水の描写が印象的です。
河合玉堂は多摩地方の風景を愛してよく描いています。
戦時中は奥多摩に疎開し、東京の自宅が空襲で焼失した後は現在の
青梅市御岳に移り住んでいます。
川合玉堂 「早乙女」 1945(昭和20)年

終戦の年に描かれていますが、常と変わらぬ農村の営みです。
畦道は一気に引いたような太い線で、たらし込みも使われています。
田植は早乙女が中心になる農作業ですが、戦時中で男手の足りない
時でもあり、「銃後の守り」の意味も込めています。
東山魁夷 「白い壁」 1952(昭和27)年

月夜の南アルプス市の土蔵の情景です。
白壁に差す月光や影の具合を工夫しています。
色面の分割、構成を意識しているようで、後の作品と少し雰囲気が違います。
東山魁夷 「白い嶺」 1964(昭和45)年

蔵王の樹氷です。
白く透き通った、神秘的な光景が広がります。
近藤弘明 「清夜」 1970(昭和45)年

月に照らされた野原に白い花が咲き広がる、浄土を思わせる風景です。
近藤弘明(1924-2015)は下谷の天台宗の寺院に生まれた日本画家で、
仏教思想に基いた幻想的な作品を描いています。
田渕俊夫 「輪中の村」 1979(昭和54)年

木曽川下流の輪中の風景です。
背景の部分は銀箔を紙に貼った時に偶然出来る皺をそのまま使って、
雲の感じを出しています。
石田武さんの奥入瀬の四季を描いた作品、4点が展示されています。
石田武 「四季奥入瀬 瑠璃」 1985(昭和60)年 個人蔵

新緑の奥入瀬渓谷で、斜めになった木が緊張感のある画面をつくっています。
石田武 「四季奥入瀬 秋韻」 1985(昭和60)年 個人蔵

こちらは紅葉の季節で、川岸は黄金色に輝いています。
山種美術館のHPです。
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山種美術館では特別展、「日本の風景を描く―歌川広重から田渕俊夫まで―」が
開かれています。
会期は2023年2月26日(日)までです。

山種美術館の所蔵する、日本の四季や風景を描いた作品の展示です。
歌川広重 「東海道五拾三次之内 日本橋・朝之景」 1833-36(天保4-7)年頃

1月15日までの展示です。
南岸からの景色で、どちらのお大名でしょうか、毛槍と馬印を立てた大名行列の一行が
朝の日本橋を渡ります。
太鼓橋の形を上手く使っていて、お侍の武張った肘も描写されています。
手前の高札場の横では、日本橋の市場で仕入れた魚屋や八百屋の棒手振りが
商いに出かけるところです。
町の木戸は開けられ、遠くには火の見櫓も見え、いかにも江戸らしい鮮やかな風景です。
最初期の摺りで、雲も描かれています。
後の摺りでは雲は省かれています。
歌川広重 「近江八景之内 石山秋月」 1834(天保5)年頃

1月17日からの展示です。
近江八景は中国の瀟湘八景に倣って近江の琵琶湖周辺の景色を
八つ選んだものです。
紫式部は石山寺に籠って、琵琶湖の湖面に映る月を眺めながら、
源氏物語の想を練ったとされています。
左に石山寺の本堂、右に瀬田の唐橋、遠くに比叡山が見えます。
石山や鳰の海てる月かげは 明石も須磨もほかならぬ哉 近衛信尹
椿椿山 「久能山真景図」 1837(天保8)年 重要文化財


久能山は徳川家康を祀った久能山東照宮のある所です。
松林の下の参道を赤い着物のお坊さんと青い着物の従者がトコトコと
登って行きます。
真景図とは写生を元に描いた絵という意味ですが、この絵は上からと下からの
視点が混じっていて、東洋画の大らかさを感じます。
椿椿山(つばきちんざん:1801~1854)は槍奉行同心の子で、谷文晁や
渡辺崋山に学んでいます。
肖像画に秀でた画家で、渡辺崋山や高野長英の肖像画で有名です。
椿椿山は師の渡辺崋山にならって各地を旅行し、写生していて、この絵も訪れて
10年後に描いたそうです。
菱田春草 「釣帰」 1901(明治34)年

横山大観と菱田春草は日本美術院の創設に参加し、1900年頃からは光や空気感を
出すために輪郭線を使わないで描く技法を手掛けています。
輪郭線が無いため、ぼんやりした印象があり、当時は「朦朧体」と呼ばれ、
非難されています。
横山大観 「喜撰山」 1919(大正8)年

百人一首に載っている、喜撰法師の歌に拠っています。
喜撰法師は宇治に住んでいたとされます。
わが庵は都のたつみしかぞすむ世をうぢ山と人はいふなり
金箋紙(裏に金箔を押した鳥の子紙の表面を薄く剥いだもの)に描いた
最初の作品で、明るく温かい地色が映えています。
京都の土の赤さを表現するために使ったと考えられるそうです。
山元春挙 「火口の水」 1925(大正14)年

山元春挙(1872-1933)は円山四条派の画家で、応挙の孫弟子の森寛斎に学んでいます。
1907(明治40)年の文展の開設にあたっては竹内栖鳳らとともに審査委員を
勤めています。
日本画に西洋画の技法を採り入れ、立体感のある作品を生んでいます。
透明な青色の表現は春挙の特徴です。
佐伯祐三 「レストラン(オ・レヴェイユ・マタン)」 1927(昭和2)年

亡くなる前年の作品で、パリの小さなレストランを正面から描いています。
「レヴェイユ・マタン」とは「目覚まし時計」という意味で、壁に朝を告げる
鶏が描かれています。
佐伯の特徴の看板の文字や窓の中の様子も描きこまれています。
灰色の空の下、裏町の風情があり、人の暮らしの懐かしさを感じます。
日本画の美術館である山種美術館の所蔵する、珍しい洋画です。
川合玉堂 「春風春水」 1940(昭和15)年

川の急流に張ったワイヤーを使った渡し舟には農家の女性が乗り
、船頭が腰に力を入れて舟を操っています
岩場には山桜が咲き、満々とした蒼い水の描写が印象的です。
河合玉堂は多摩地方の風景を愛してよく描いています。
戦時中は奥多摩に疎開し、東京の自宅が空襲で焼失した後は現在の
青梅市御岳に移り住んでいます。
川合玉堂 「早乙女」 1945(昭和20)年

終戦の年に描かれていますが、常と変わらぬ農村の営みです。
畦道は一気に引いたような太い線で、たらし込みも使われています。
田植は早乙女が中心になる農作業ですが、戦時中で男手の足りない
時でもあり、「銃後の守り」の意味も込めています。
東山魁夷 「白い壁」 1952(昭和27)年

月夜の南アルプス市の土蔵の情景です。
白壁に差す月光や影の具合を工夫しています。
色面の分割、構成を意識しているようで、後の作品と少し雰囲気が違います。
東山魁夷 「白い嶺」 1964(昭和45)年

蔵王の樹氷です。
白く透き通った、神秘的な光景が広がります。
近藤弘明 「清夜」 1970(昭和45)年

月に照らされた野原に白い花が咲き広がる、浄土を思わせる風景です。
近藤弘明(1924-2015)は下谷の天台宗の寺院に生まれた日本画家で、
仏教思想に基いた幻想的な作品を描いています。
田渕俊夫 「輪中の村」 1979(昭和54)年

木曽川下流の輪中の風景です。
背景の部分は銀箔を紙に貼った時に偶然出来る皺をそのまま使って、
雲の感じを出しています。
石田武さんの奥入瀬の四季を描いた作品、4点が展示されています。
石田武 「四季奥入瀬 瑠璃」 1985(昭和60)年 個人蔵

新緑の奥入瀬渓谷で、斜めになった木が緊張感のある画面をつくっています。
石田武 「四季奥入瀬 秋韻」 1985(昭和60)年 個人蔵

こちらは紅葉の季節で、川岸は黄金色に輝いています。
山種美術館のHPです。
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