表参道
南青山の根津美術館では企画展、「遊びの美学」が開かれています。
会期は2月5日(日)までです。

雅な遊び
「上東門院彰子菊合残巻(十巻本歌合) 伝 宗尊親王筆 1巻 平安時代 11世紀

上東門院彰子(988-1074)は一条天皇の皇后で、紫式部、和泉式部、赤染衛門、
伊勢大輔などの揃ったサロンの主催者でもあります。
菊の花を題材にした10番20種の歌を集めた歌合せの記録で、伊勢大輔の名も見えます。
宗尊親王(1242-1274)は後嵯峨天皇の長子で、名筆家として知られています。
鎌倉幕府の要請で、征夷大将軍として鎌倉に住んだこともあります。
残巻は平安時代の作と思われるので、宗尊親王の筆ではないようです。
左 伊勢大輔
ながきよのためしにそふるきくのはなゆくすゑとほくきみのみぞみむ
「源氏物語画帖」 第十七帖 「絵合」(部分) 伝 土佐光起筆 江戸時代 17世紀

藤壺中宮が女房たちを梅壺女御側と弘徽殿女御側に分け、持ち寄った絵を競わせた、
絵合せの場面です。
この勝負、冷泉帝の御前でも行われ、光源氏の須磨の絵によって梅壺女御側の
勝ちとなります。
「桜下蹴鞠図屏風」 江戸時代 17世紀 重要美術品
(右隻)

お公家さんや僧侶が蹴鞠に興じています。
蹴鞠は4本の木の間で行なわれますが、この絵では満開の桜になっています。
鞠が画面上で半分だけ飛び出しています。
左隻では、塀の外で従者たちが退屈そうに主人の帰りを待っています。
大きく伸びをして、あくびする者もいて、のどかな風景です。
右隻の人物が様々の衣装を着て、動きのあるのに対し、左隻の従者たちは
黒烏帽子に白の水干姿で、静かに座っています。
左隻の、水辺を表す線も大胆で、モダンです。
右隻と左隻を、枝を伸ばした桜がつないでいます。
大らかな雰囲気で、俵屋宗達の工房による製作と考えられています。
「百椿図」 2巻 伝 狩野山楽 江戸時代 17世紀
丹波国篠山藩、後に播磨国明石藩7万石の藩主となった松平忠国(1597-1659)の
注文により狩野山楽が描いたとされ、忠国とその子で老中にもなった信之(1631-86)の
2代にわたって、それぞれの花に著名人に漢詩や和歌の賛を書いてもらっています。
本之巻と末之巻の長い絵巻ですが、今回展示されているのは短い部分です。
末之巻の巻末には「大白玉」という品種に松平忠国が和歌を寄せています。

名にしほふ しらたま椿 さくころを 待えてみのの 山ののどけさ
白玉椿は美濃の椿として知られていました。
武芸を磨く
「玉藻前物語絵巻」 2巻のうち下巻 室町時代 16世紀

玉藻前となって鳥羽上皇に取り憑いた九尾の狐を陰陽師の安倍泰成に調伏され、
那須野に逃げますが、遂には三浦介義明、千葉介常胤らに討たれます。
三浦介義明は三浦義村の祖父で、高齢ながら源頼朝の挙兵にいち早く加わり、
討ち死にしています。
「曽我物語図屏風」 江戸時代 17世紀
源頼朝の催した富士の巻狩りにおいて父の仇である工藤祐経を討った
曾我十郎と五郎の兄弟の物語です。
右隻
富士の裾野で繰り広げられた壮大な巻狩りの場面です。

猪にまたがって仕留める新田(仁田)忠常と、狩りを観覧する源頼朝です。
新田忠常は兄の十郎を討ち取っています。

左隻
曽我兄弟が工藤祐経を討ち、五郎が処刑されるまでを描いています。

工藤祐経の寝所に押し入る兄弟(下)と、頼朝の前に引出される五郎(右上)です。

市井の楽しみ
「洛中洛外図屏風」 江戸時代 17世紀
右隻

左隻

八曲一双の屛風で、右隻には、東山の清水寺、八坂の塔、方広寺大仏殿、内裏、
祇園祭の山鉾巡行などが見えます。


方広寺は豊臣秀吉の建てた寺で、東大寺大仏殿より大きな大仏殿は1798年に
焼失するまで京の名所だったということです。
右側の赤い柱の大きな建物です。

天皇、足利、豊臣、徳川といった、時々の権力者の象徴を一つの画面に
納めているのが、洛中洛外図の面白さです。
左隻には、祇園祭の神輿行列、金閣寺、北野神社、二条城、東寺、嵐山などが
見えます。
二条城には1750年に焼失した天守閣も描き込まれています。

「邸内遊楽図屏風」(部分) 江戸時代 17世紀


若い男が客をもてなす若衆茶屋の遊びを描いたもので、この題材の屏風は7点、
現存しているそうです。
諸肌脱ぎの男が腕に子供を乗せる芸を披露し、鼓が囃しています。
碁盤や煙草盆も見え、手前では男と女が腕相撲をしています。
平曲を語る琵琶法師、双六をする男の首に手を掛け引っ張る女、茶屋の外で
居眠りをしながら主を待つ駕籠舁の従者などが描かれた面白い屏風です。
「風俗図」 三幅対 江戸時代 17世紀 重要美術品

中央の遊女を挟んで、左右の色男が意味ありげな視線を送っている三幅対です。
遊女は三味線を持った禿(かむろ)を従え、唐輪髷という髪型を結った、
貫禄のある姿です。
打掛には水車と水流を豪快に描き出し、小袖の柄とも合わせ、裏地の赤も華やかです。
裾には何か字が書いてあるように見えます。
水車は宇治の名物なので、伝説の宇治の橋姫を連想させます。
男は二人とも小腰を屈めて、刀は落し差し、若衆の大刀はお洒落な朱鞘です。
展示室5のテーマは「山水」です。
「夕陽山水図」 馬麟筆・理宗賛
絹本墨画淡彩 南宋時代 宝祐2年(1254) 重要文化財

遠山と夕焼け空、四羽のつばめが描かれ、詩が添えられています。
馬麟は馬遠の子で、南宋画院の画家、理宗(1205-1264)は南宋第5代皇帝です。
「潑墨山水図」 拙宗等揚筆 室町時代 15世紀

拙宗等揚は後の雪舟です。
潑墨は墨を散らし、ぼかすようにして描く技法です。
「八角尾垂釜(はっかくおだれがま)」 芦屋 桃山時代 16世紀

8つの面には瀟湘八景が鋳出してあります。
損傷した釜の下の部分を打ち割って底を継ぎ足したので、こんな形をしています。
芦屋釜は筑前芦屋津で南北朝時代から盛んに制作され、京の茶人に好まれましたが、
庇護者である大内氏の滅亡や京釜の台頭で、江戸時代初期に一度絶えています。
展示室6のテーマは「除夜釜―新年を迎えるー」です。
除夜釜は大晦日に設ける茶席です。
「茶杓 銘 大晦日」 江岑宗左作 江戸時代 17世紀

江岑宗左(1613-1672)は表千家4代家元です。
「大海茶入 銘 節季」 室町時代 16世紀

幅の広い形の茶入を大海と言います。
「志野暦文茶碗 銘 年男」 美濃 施釉陶器 江戸時代 17世紀

胴に架空の年号の暦が書かれていて、贈答品として使われていたそうです。
「大津馬図(部分)」 松花堂昭乗筆 沢庵宗彭賛 江戸時代 17世紀

沢庵和尚の賛を書いた色紙が貼ってあります。
なそもかく
おもに(重荷)大津の
馬(生)れきて
なれもうき世に
我もうきよに
大津馬は大津で荷役に使われていた馬のことで、琵琶湖を舟で運ばれてきた米を
京都まで運んだりしていました。
展覧会のHPです。
chariot
南青山の根津美術館では企画展、「遊びの美学」が開かれています。
会期は2月5日(日)までです。

雅な遊び
「上東門院彰子菊合残巻(十巻本歌合) 伝 宗尊親王筆 1巻 平安時代 11世紀

上東門院彰子(988-1074)は一条天皇の皇后で、紫式部、和泉式部、赤染衛門、
伊勢大輔などの揃ったサロンの主催者でもあります。
菊の花を題材にした10番20種の歌を集めた歌合せの記録で、伊勢大輔の名も見えます。
宗尊親王(1242-1274)は後嵯峨天皇の長子で、名筆家として知られています。
鎌倉幕府の要請で、征夷大将軍として鎌倉に住んだこともあります。
残巻は平安時代の作と思われるので、宗尊親王の筆ではないようです。
左 伊勢大輔
ながきよのためしにそふるきくのはなゆくすゑとほくきみのみぞみむ
「源氏物語画帖」 第十七帖 「絵合」(部分) 伝 土佐光起筆 江戸時代 17世紀

藤壺中宮が女房たちを梅壺女御側と弘徽殿女御側に分け、持ち寄った絵を競わせた、
絵合せの場面です。
この勝負、冷泉帝の御前でも行われ、光源氏の須磨の絵によって梅壺女御側の
勝ちとなります。
「桜下蹴鞠図屏風」 江戸時代 17世紀 重要美術品
(右隻)

お公家さんや僧侶が蹴鞠に興じています。
蹴鞠は4本の木の間で行なわれますが、この絵では満開の桜になっています。
鞠が画面上で半分だけ飛び出しています。
左隻では、塀の外で従者たちが退屈そうに主人の帰りを待っています。
大きく伸びをして、あくびする者もいて、のどかな風景です。
右隻の人物が様々の衣装を着て、動きのあるのに対し、左隻の従者たちは
黒烏帽子に白の水干姿で、静かに座っています。
左隻の、水辺を表す線も大胆で、モダンです。
右隻と左隻を、枝を伸ばした桜がつないでいます。
大らかな雰囲気で、俵屋宗達の工房による製作と考えられています。
「百椿図」 2巻 伝 狩野山楽 江戸時代 17世紀
丹波国篠山藩、後に播磨国明石藩7万石の藩主となった松平忠国(1597-1659)の
注文により狩野山楽が描いたとされ、忠国とその子で老中にもなった信之(1631-86)の
2代にわたって、それぞれの花に著名人に漢詩や和歌の賛を書いてもらっています。
本之巻と末之巻の長い絵巻ですが、今回展示されているのは短い部分です。
末之巻の巻末には「大白玉」という品種に松平忠国が和歌を寄せています。

名にしほふ しらたま椿 さくころを 待えてみのの 山ののどけさ
白玉椿は美濃の椿として知られていました。
武芸を磨く
「玉藻前物語絵巻」 2巻のうち下巻 室町時代 16世紀

玉藻前となって鳥羽上皇に取り憑いた九尾の狐を陰陽師の安倍泰成に調伏され、
那須野に逃げますが、遂には三浦介義明、千葉介常胤らに討たれます。
三浦介義明は三浦義村の祖父で、高齢ながら源頼朝の挙兵にいち早く加わり、
討ち死にしています。
「曽我物語図屏風」 江戸時代 17世紀
源頼朝の催した富士の巻狩りにおいて父の仇である工藤祐経を討った
曾我十郎と五郎の兄弟の物語です。
右隻
富士の裾野で繰り広げられた壮大な巻狩りの場面です。

猪にまたがって仕留める新田(仁田)忠常と、狩りを観覧する源頼朝です。
新田忠常は兄の十郎を討ち取っています。


左隻
曽我兄弟が工藤祐経を討ち、五郎が処刑されるまでを描いています。

工藤祐経の寝所に押し入る兄弟(下)と、頼朝の前に引出される五郎(右上)です。

市井の楽しみ
「洛中洛外図屏風」 江戸時代 17世紀
右隻

左隻

八曲一双の屛風で、右隻には、東山の清水寺、八坂の塔、方広寺大仏殿、内裏、
祇園祭の山鉾巡行などが見えます。


方広寺は豊臣秀吉の建てた寺で、東大寺大仏殿より大きな大仏殿は1798年に
焼失するまで京の名所だったということです。
右側の赤い柱の大きな建物です。

天皇、足利、豊臣、徳川といった、時々の権力者の象徴を一つの画面に
納めているのが、洛中洛外図の面白さです。
左隻には、祇園祭の神輿行列、金閣寺、北野神社、二条城、東寺、嵐山などが
見えます。
二条城には1750年に焼失した天守閣も描き込まれています。

「邸内遊楽図屏風」(部分) 江戸時代 17世紀


若い男が客をもてなす若衆茶屋の遊びを描いたもので、この題材の屏風は7点、
現存しているそうです。
諸肌脱ぎの男が腕に子供を乗せる芸を披露し、鼓が囃しています。
碁盤や煙草盆も見え、手前では男と女が腕相撲をしています。
平曲を語る琵琶法師、双六をする男の首に手を掛け引っ張る女、茶屋の外で
居眠りをしながら主を待つ駕籠舁の従者などが描かれた面白い屏風です。
「風俗図」 三幅対 江戸時代 17世紀 重要美術品

中央の遊女を挟んで、左右の色男が意味ありげな視線を送っている三幅対です。
遊女は三味線を持った禿(かむろ)を従え、唐輪髷という髪型を結った、
貫禄のある姿です。
打掛には水車と水流を豪快に描き出し、小袖の柄とも合わせ、裏地の赤も華やかです。
裾には何か字が書いてあるように見えます。
水車は宇治の名物なので、伝説の宇治の橋姫を連想させます。
男は二人とも小腰を屈めて、刀は落し差し、若衆の大刀はお洒落な朱鞘です。
展示室5のテーマは「山水」です。
「夕陽山水図」 馬麟筆・理宗賛
絹本墨画淡彩 南宋時代 宝祐2年(1254) 重要文化財

遠山と夕焼け空、四羽のつばめが描かれ、詩が添えられています。
馬麟は馬遠の子で、南宋画院の画家、理宗(1205-1264)は南宋第5代皇帝です。
「潑墨山水図」 拙宗等揚筆 室町時代 15世紀

拙宗等揚は後の雪舟です。
潑墨は墨を散らし、ぼかすようにして描く技法です。
「八角尾垂釜(はっかくおだれがま)」 芦屋 桃山時代 16世紀

8つの面には瀟湘八景が鋳出してあります。
損傷した釜の下の部分を打ち割って底を継ぎ足したので、こんな形をしています。
芦屋釜は筑前芦屋津で南北朝時代から盛んに制作され、京の茶人に好まれましたが、
庇護者である大内氏の滅亡や京釜の台頭で、江戸時代初期に一度絶えています。
展示室6のテーマは「除夜釜―新年を迎えるー」です。
除夜釜は大晦日に設ける茶席です。
「茶杓 銘 大晦日」 江岑宗左作 江戸時代 17世紀

江岑宗左(1613-1672)は表千家4代家元です。
「大海茶入 銘 節季」 室町時代 16世紀

幅の広い形の茶入を大海と言います。
「志野暦文茶碗 銘 年男」 美濃 施釉陶器 江戸時代 17世紀

胴に架空の年号の暦が書かれていて、贈答品として使われていたそうです。
「大津馬図(部分)」 松花堂昭乗筆 沢庵宗彭賛 江戸時代 17世紀

沢庵和尚の賛を書いた色紙が貼ってあります。
なそもかく
おもに(重荷)大津の
馬(生)れきて
なれもうき世に
我もうきよに
大津馬は大津で荷役に使われていた馬のことで、琵琶湖を舟で運ばれてきた米を
京都まで運んだりしていました。
展覧会のHPです。
- 関連記事