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「佐伯祐三 自画像としての風景」展 東京ステーションギャラリー
東京
chariot

東京駅の東京ステーションギャラリーでは「佐伯祐三 自画像としての風景」展が
開かれています。
会期は4月2日(日)までです。

佐伯img418

大阪中之島美術館の所蔵する佐伯祐三コレクションを中心に、約100点を展示する
展覧会です。

佐伯祐三(1898-1928)は大阪に生まれ、東京美術学校では藤島武二に師事しています。

「自画像」 1923年 東京藝術大学
美術010

東京藝術大学は東京美術学校時代から西洋画科の生徒は卒業時に自画像を
遺していくことになっています。
印象派風の明るい色彩ですが、力強い筆触に特徴があります。
佐伯祐三の住んでいた下落合にアトリエを構えていた中村彝(なかむらつね、
1887‐1924)の「エロシェンコ氏の像」に影響を受けた作品ですが、佐伯と中村が
直接会ったことは無かったそうです。

参考
中村彝 「エロシェンコ氏の像」 1920年 東京国立近代美術館 重要文化財
新002


佐伯は卒業の翌年の1924年にフランスに渡っています。
そこでヴラマンクに会い、自分の作品を見せたところ、「このアカデミック!」と
一蹴されてしまい、大きな衝撃を受け、それ以後画風も変わります。

同じ頃、パリで人気画家として活躍していた藤田嗣治(レオナール・フジタ)も、
最初にパリに来た時は東京美術学校で身に付けた画風がもう古くなっている
ことに気付かされ、新しい画風の確立に苦闘しています。

「立てる自画像」 1924年 大阪中之島美術館
佐伯img427 (3)

ヴラマンクに会って画風は大きく変わっています。
本人はこの絵に満足していなかったようで、裏に別の絵が描かれています。

「オーヴェールの教会」 1924年 鳥取県立博物館
ゴッホimg341 (9)

佐伯はオーヴェル=シュル=オワーズに住むヴラマンクを訪ねた翌日に同地にある
ゴッホの墓に詣でています。
ゴッホが描いたのと同じ教会を描いていて、ヴラマンク風の荒々しさが見えます。
ヴラマンク自身、ゴッホの強い影響を受けた画家です。

「コルドヌリ(靴屋)」 1925年 アーティゾン美術館
佐伯img427 (4)

やがて佐伯はヴラマンクの荒々しさから離れ、ユトリロの影響を受けるようになります。
主題もパリとその建物の壁が中心になります。
佐伯は気に入った場所を何度も描いていて、ここを描いた作品も2点、展示されています。

「広告と蝋燭立」 油彩、キャンバス 1925年 和歌山県立近代美術館
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佐伯は雨の日は室内で静物画を描いていました。
視点の置き方など、セザンヌの影響も受けていることが分かります。
同じ頃にパリに滞在していた前田寛治が所蔵していた作品です。

パリで健康を害した佐伯は周囲の説得で、1926年に帰国します。

「下落合風景」 1926年頃 和歌山県立近代美術館
佐伯img427 (6)

日本では住んでいた下落合の風景を多く描いています。
電柱の縦の線が画面を大きくしています。
フランスのような堅牢で背の高い構造物の少ない日本では題材選びに
苦労していたそうです。

「汽船」 1926年頃 大阪中之島美術館
佐伯img427 (7)

故郷の大阪では波止場に係留してある船をよく描いています。
広い灰色の空の下、船体の白と赤が際立ちます。
船を描いた他の作品では、何隻もの船の並ぶマストとロープのつくる形に
興味を持っています。

佐伯は日本の風景が自分の画風に会わないことに悩み、無理をして27年に
再びパリに渡っています。

「レストラン(オテル・デュ・マルシェ)」 1927年 大阪中之島美術館
ブリ002

佐伯は壁のポスターなどの字に関心を寄せ、絵の中に取り込んでいきます。
このデザインの椅子は現在も使われ、丸の内仲通りなどで見掛けることがあります。

「テラスの広告」 1927年 アーティゾン美術館
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同じオテル・デュ・マルシェを題材にした作品です。

「広告貼り」 1927年 アーティゾン美術館
ブリ003

佐伯は壁のポスターをよく題材にしていますが、それを貼る人も一緒に描いた作品です。
レオナール・フジタにもポスター貼りを描いた絵があります。
フジタは職人を中心にしていますが、こちらの主題はポスターそのものです。
1948年のイタリア映画、「自転車泥棒」の主人公もポスター貼りをしていました。

「ガス灯と広告」 1927年 アーティゾン美術館
きDSC01103

アーティゾン美術館のコレクション展の時の写真です。
大きな作品で、壁一面に貼られたポスターの字は紙をはみ出すほどで、
右上の佐伯のサインもポスターと一体化しています。
レビューのポスターも貼ってあるのが分かります。

「リュクサンブール公園」 1927年 田辺市立美術館
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建物を題材にした佐伯祐三にしては珍しく、遠近法を効かして並木道を描いています。
翌年にパリで客死した佐伯は、描き急ぐかのように筆を走らせています。

「新聞屋」 1927年 朝日新聞東京本社
二科004

店に置かれた新聞や雑誌の文字が細かく描き込まれています。
この作品を描いた翌年の1928年に佐伯はフランスで亡くなり、遺作として二科展の
第15回展に出展されています。

「モランの寺」  1928年 東京国立近代美術館
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結核の悪化していた佐伯は2月にパリ近郊のモランに写生旅行に行っています。
モランの教会を何点か描いていますが、文字を強調したパリの絵とは異なり、
どれも太い輪郭線による構築的な作品です。

「煉瓦焼」 1928年 大阪中之島美術館
佐伯img427 (1)

モランで見かけた煉瓦工場に興味を持って描いています。
左右対称、太い輪郭線、鮮烈な朱色、絵具を搔き取って表した煉瓦の線など、
強烈な印象を与えます。
佐伯祐三を最初に評価し、多くの作品を収集した山本發次郎(1887-1951)が
佐伯を最初に知るきっかけとなった作品とのことです。
大阪中之島美術館は山本發次郎の遺族が大阪市に寄贈した佐伯祐三の
コレクションなどを中核として発足しています。

「ロシアの少女」 1928年 大阪中之島美術館
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パリに戻った佐伯は衰えた体力を振り絞って描き続けています。
1917年のロシア革命から逃れてきたロシア貴族の娘をモデルにしています。
手早く勢いよく描き上げた絵で、色彩も明るく、高い鼻や大きな目が強調され、
民族衣装らしい服も面白く描かれています。
しかし、一緒に来た母親は出来上がった絵を見て、「悪い時には悪いことが重なる
ものだ」と嘆いたそうです。

「郵便配達夫」 1928年 大阪中之島美術館
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偶然訪れた郵便配達夫をモデルにしています。
体をやや傾けた動きのある姿勢を直線でまとめ、服の藍色に赤と白を加えています。
階段状の直線による構成は佐伯の形への関心を示しています。
この配達夫はいつもの人ではなかったのですが、頼んで後日来てもらって描いたそうです。
この時しか現れなかった配達夫について、佐伯の看病をしていた妻の米子はあとで、
「あの人は神様だったのではないか」と述べています。

結核の悪化した佐伯は精神も病み、最後は精神病院に入院して、8月16日に
30歳で亡くなっています。
佐伯祐三のフランス滞在期間は短いものでしたが、その間に大きく作風を変え、
佐伯独自の世界をつくり上げています。

展覧会のHPです。

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【2023/01/24 17:54】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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