三越前
日本橋の三井記念美術館では3年ぶりに「三井家のおひなさま」展が開かれています。
会期は4月2日(日)までです。

「立雛」 文化12年(1815)

災厄を託して海や川に流す人形(ひとがた)から発展した形です。
松は男、藤は女、撫子は子どもを表しています。
簡素な姿ですが、金地に緑と赤の華やかで上品な色彩です。
「内裏雛」 三世大木平藏製 明治28 年(1895)
三井苞子(北三井家十代・高棟夫人)旧蔵

内裏雛は江戸の人形師、原舟月の考案した写実的なお雛様で、
瞳にガラスや水晶が入っています。
私たちが見慣れている現代のお雛様はこの内裏雛の系統です。
「次郎左衛門雛」 二代永徳齋 明治~大正時代 20世紀
三井鋹子(北三井家十一代・高公夫人)旧蔵

次郎左衛門雛は丸顔の引目鉤鼻が特徴で、幕府御用も勤めた京の人形師の
雛屋次郎左衛門が創めたとされています。
江戸後期に江戸で流行し、公家や諸大名家では雛人形の本流とされたそうです。
「内裏雛」 二代永徳齋 明治~大正時代 20世紀
三井鋹子(北三井家十一代・高公夫人)旧蔵

永徳齋は江戸時代から昭和まで四代にわたり、江戸、東京で活躍した人形師です。
「内裏雛」 四世大木平藏 明治33 年(1900)
三井興子(伊皿子三井家九代・高長夫人)旧蔵

今の人形に伝わる古今雛と呼ばれる面長の顔立ちです。
「紫宸殿雛人形」 五世大木平藏 昭和9年(1934)
浅野久子氏(北三井家十一代・高公長女)旧蔵

北三井家十一代・高公の長女で浅野セメントの浅野久弥に嫁いだ久子氏の
寄贈品で、久子氏の初節句に祖父の三井高棟より贈られた品です。
御殿付きの雛人形は江戸時代の末から昭和20年頃にかけて西日本で
流行したそうです。
「内裏雛」 五世大木平藏 昭和9年(1934)
浅野久子(北三井家十一代・高公長女)旧蔵

男雛は最も格式の高い黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)を着ています。
「雛人形・雛道具段飾りのうち五人官女」 五世大木平藏 昭和9年(1934年)
浅野久子氏(北三井家十一代・高公長女)旧蔵

「御所人形 大名行列」 五世大木平藏製 昭和8年(1933) 丸平文庫蔵


毛槍や挟み箱を担いだ奴さん、弓、鉄砲を担いだ徒武者、騎馬武者など、
58体の人形が行列を組んでいます。
奴さんの一人はかがんで草鞋のひもを結んでいます。
錫杖を持った烏帽子姿の侍や坊主頭の医者も加わっています。
蒔絵を施したお駕篭は6人で担いでいて、なぜか振袖姿です。
付けている紋は、三井家の四つ目結です。
四つ目結は近江源氏佐々木氏の紋で、三井家は遠祖を佐々木氏と名乗っています。
「御所人形 神輿」 五世大木平藏製 昭和8年(1933) 個人蔵

21体の可愛い御所人形たちが足並みを揃えてお神輿を担いでいて、威勢の良い
掛け声も聞えてきそうです。
酒樽を抱えてご機嫌でひっくり返っている人形もいて、おかげで片方の担ぎ手は
一人足りません 。
氏子たちの腹掛けにも四つ目結の紋が付いています。
御所人形は江戸時代、幕府の役人や参勤交代の大名が朝廷に挨拶に
伺った時に朝廷からお土産として贈られていて、明治になってから
御所人形と呼ばれるようになっています。
特集展示として、 近年の寄贈品の展示があります。
「花見の図」 河鍋暁斎 明治時代 19世紀

花見酒ですっかり酔っぱらって出来上がった男女で、天狗の面を付けた男は
片肌田脱ぎになって酒樽を担ぎ、草履も脱げ、団子の串を持った女は着物も
はだけています。
それを蓆を敷いておもちゃを売っている老婆が眺めています。
表装には桜の木が描かれていて、花見の絵になっています。
「両替年代記蒔絵硯箱」 象彦(八代西村彦兵衛)製 昭和初期

外見は和綴じの冊子の形をしていて、蓋を開けると中は両替尽くしという
凝った意匠です。
銭を数える金枡をかたどり、硯は分銅の形をしています。
蓋の裏には慶長小判や寛永通宝などが貼り付けてあります。
両替商としても栄えた三井家の歴史を物語っています。
御所丸茶碗 朝鮮時代 17世紀

茶室、如庵に置かれています。
御所丸とは桃山時代から江戸時代初期に掛けての朝鮮との御用貿易船のことで、
対馬藩宗氏が仲介しています。
日本の茶人の注文により朝鮮で焼かれ、朝鮮貿易船で運ばれた品と思われます。
楕円形で白釉と黒釉の掛かった片身替りと呼ばれる色合いになっています。
えぐるようなへらの削り跡も付いていて、個性の強い姿をしています。
「陶製福雛」 近代


展示室入口に置かれています。
福助とお福さんでしょうか。
展覧会のHPです。
こちらは隣の日本橋三越の新館入口に飾られている内裏雛です。

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日本橋の三井記念美術館では3年ぶりに「三井家のおひなさま」展が開かれています。
会期は4月2日(日)までです。

「立雛」 文化12年(1815)

災厄を託して海や川に流す人形(ひとがた)から発展した形です。
松は男、藤は女、撫子は子どもを表しています。
簡素な姿ですが、金地に緑と赤の華やかで上品な色彩です。
「内裏雛」 三世大木平藏製 明治28 年(1895)
三井苞子(北三井家十代・高棟夫人)旧蔵

内裏雛は江戸の人形師、原舟月の考案した写実的なお雛様で、
瞳にガラスや水晶が入っています。
私たちが見慣れている現代のお雛様はこの内裏雛の系統です。
「次郎左衛門雛」 二代永徳齋 明治~大正時代 20世紀
三井鋹子(北三井家十一代・高公夫人)旧蔵

次郎左衛門雛は丸顔の引目鉤鼻が特徴で、幕府御用も勤めた京の人形師の
雛屋次郎左衛門が創めたとされています。
江戸後期に江戸で流行し、公家や諸大名家では雛人形の本流とされたそうです。
「内裏雛」 二代永徳齋 明治~大正時代 20世紀
三井鋹子(北三井家十一代・高公夫人)旧蔵

永徳齋は江戸時代から昭和まで四代にわたり、江戸、東京で活躍した人形師です。
「内裏雛」 四世大木平藏 明治33 年(1900)
三井興子(伊皿子三井家九代・高長夫人)旧蔵

今の人形に伝わる古今雛と呼ばれる面長の顔立ちです。
「紫宸殿雛人形」 五世大木平藏 昭和9年(1934)
浅野久子氏(北三井家十一代・高公長女)旧蔵

北三井家十一代・高公の長女で浅野セメントの浅野久弥に嫁いだ久子氏の
寄贈品で、久子氏の初節句に祖父の三井高棟より贈られた品です。
御殿付きの雛人形は江戸時代の末から昭和20年頃にかけて西日本で
流行したそうです。
「内裏雛」 五世大木平藏 昭和9年(1934)
浅野久子(北三井家十一代・高公長女)旧蔵

男雛は最も格式の高い黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)を着ています。
「雛人形・雛道具段飾りのうち五人官女」 五世大木平藏 昭和9年(1934年)
浅野久子氏(北三井家十一代・高公長女)旧蔵

「御所人形 大名行列」 五世大木平藏製 昭和8年(1933) 丸平文庫蔵


毛槍や挟み箱を担いだ奴さん、弓、鉄砲を担いだ徒武者、騎馬武者など、
58体の人形が行列を組んでいます。
奴さんの一人はかがんで草鞋のひもを結んでいます。
錫杖を持った烏帽子姿の侍や坊主頭の医者も加わっています。
蒔絵を施したお駕篭は6人で担いでいて、なぜか振袖姿です。
付けている紋は、三井家の四つ目結です。
四つ目結は近江源氏佐々木氏の紋で、三井家は遠祖を佐々木氏と名乗っています。
「御所人形 神輿」 五世大木平藏製 昭和8年(1933) 個人蔵

21体の可愛い御所人形たちが足並みを揃えてお神輿を担いでいて、威勢の良い
掛け声も聞えてきそうです。
酒樽を抱えてご機嫌でひっくり返っている人形もいて、おかげで片方の担ぎ手は
一人足りません 。
氏子たちの腹掛けにも四つ目結の紋が付いています。
御所人形は江戸時代、幕府の役人や参勤交代の大名が朝廷に挨拶に
伺った時に朝廷からお土産として贈られていて、明治になってから
御所人形と呼ばれるようになっています。
特集展示として、 近年の寄贈品の展示があります。
「花見の図」 河鍋暁斎 明治時代 19世紀

花見酒ですっかり酔っぱらって出来上がった男女で、天狗の面を付けた男は
片肌田脱ぎになって酒樽を担ぎ、草履も脱げ、団子の串を持った女は着物も
はだけています。
それを蓆を敷いておもちゃを売っている老婆が眺めています。
表装には桜の木が描かれていて、花見の絵になっています。
「両替年代記蒔絵硯箱」 象彦(八代西村彦兵衛)製 昭和初期

外見は和綴じの冊子の形をしていて、蓋を開けると中は両替尽くしという
凝った意匠です。
銭を数える金枡をかたどり、硯は分銅の形をしています。
蓋の裏には慶長小判や寛永通宝などが貼り付けてあります。
両替商としても栄えた三井家の歴史を物語っています。
御所丸茶碗 朝鮮時代 17世紀

茶室、如庵に置かれています。
御所丸とは桃山時代から江戸時代初期に掛けての朝鮮との御用貿易船のことで、
対馬藩宗氏が仲介しています。
日本の茶人の注文により朝鮮で焼かれ、朝鮮貿易船で運ばれた品と思われます。
楕円形で白釉と黒釉の掛かった片身替りと呼ばれる色合いになっています。
えぐるようなへらの削り跡も付いていて、個性の強い姿をしています。
「陶製福雛」 近代


展示室入口に置かれています。
福助とお福さんでしょうか。
展覧会のHPです。
こちらは隣の日本橋三越の新館入口に飾られている内裏雛です。

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