渋谷
Bunkamuraザ・ミュージアムでは「マリー・ローランサンとモード展」が開かれています。
会期は4月9日(日)までです。

マリー・ローランサンとその時代のパリのモードについての展覧会で、
東急百貨店本店土地の再開発に伴いBunkamuraが長期休館になる前の
最後の展示ということです。
マリー・ローランサン(1883-1956)はパリに生まれ、画家を目指している時に
ジョルジュ・ブラックと知り合い、キュビズムの影響を受けます。
「優雅な舞踏会あるいは田舎での舞踏」 1913年 マリー・ローランサン美術館

キュビズム風のきっぱりした画面構成ですが、少ない色数の淡いパステルカラーで
まとめ、甘美な雰囲気を持たせているところは、後のローランサンらしさが表れています。
特に淡いピンク色はローランサンを特徴付けています。
やがて、キュビズムから離れ始め、ローランサン独特の甘く優しい女性像を
描くようになります。
「黒いマンテラをかぶったグールゴー男爵夫人の肖像」
1923年頃 パリ、ポンピドゥー・センター

「ピンクのコートを着たグールゴー男爵夫人の肖像」
1923年頃 パリ、ポンピドゥー・センター

やがてローランサンはこのグールゴー男爵夫人を描いた肖像画などで注目を集め、
上流階級の女性から注文が殺到し、一躍パリの人気画家となっています。
あたらしさ、柔らかさ、品の良さがあって、人気の出た訳も分かります。
同じ頃、活躍したキース・ヴァン・ドンゲンの色彩や筆遣いの強さとはかなり趣きが違います。
「マドモアゼル・シャネルの肖像」 1923年 オランジュリー美術館

ココ・シャネル(1883 – 1971)もローランサンに肖像画を頼んでいます。
小犬や鳥も添えた、ローランサンの様式ですが、シャネルはこの絵を気に入らず、
受け取りを拒否しています。
ローランサンも気が強く口も悪く、辛辣なことを言う人だったので、シャネルを
「オーヴェルニュの田舎娘」とののしっています(ローランサンはパリ生まれ)。
夢見るような雰囲気のローランサンと機能的でモダンなデザインを追及した
シャネルでは、そもそも感性が合わなかったのかもしれません。
「ヴァランティーヌ・テシエの肖像」 1933年 ポーラ美術館

ヴァランティーヌ・テシエ(1892 – 1981)は女優で、薄紫のドレスを着た優雅な姿です。
腕の置き方はレオナルド・ダヴィンチの「受胎告知」に似ています。
「羽根飾りの帽子の女、あるいはティリア、あるいはタニア」
1924年 マリー・ローランサン美術館

大きな羽根飾りの付いた帽子、スカーフでお洒落に装っています。
第1次世界大戦が1918年に終わり、平和な時代が戻ったことで、女性のファッションへの
関心が高まった時代でした。
「ばらの女」 1930年 マリー・ローランサン美術館

バラを手に振り返った姿に動きがあり、淡いピンクと緑色が引き立っています。
マリー・ローランサンは舞台芸術やファッションとも深いつながりを持っています。
「牝鹿と二人の女」 1923年 ひろしま美術館

作曲家のフランシス・プーランク(1899 - 1963)はバレエ・リュス(ロシア・バレエ)の
ための作曲を依頼され、1923年にローランサンの絵に触発された作品、「牝鹿」を
作曲しています。
1924年の初演時にはローランサンが舞台装置と衣装を担当しています。
バレエ・リュスはロシア人のセルゲイ・ディアギレフ(1872-1929)が結成し、
1909年にパリで公演を始めたロシア・バレエ団で、シャネル、マティス、キリコ、
ブラック、アンドレ・ドランなども衣装や舞台美術を手掛けています。
「ニコル・グルーと二人の娘、ブノワットとマリオン」
1922年 マリー・ローランサン美術館

淡いピンクとグレーでまとめた、夢幻的な画面です。
1983年にシャネルと契約して、シャネルブランドの再興に貢献したカール・ラガーフェルド
(1933 – 2019)もローランサンの淡い色調の色遣いを学んでいます。
カール・ラガーフェルド、シャネル 2011年春夏 オートクチュールコレクションより
「ピンクとグレーの刺繍が施されたロング・ドレス」 2011年

展覧会のHPです。
Bunkamuraザ・ミュージアムはこの展覧会を最後に2027年度中まで長期休館に入ります。
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Bunkamuraザ・ミュージアムでは「マリー・ローランサンとモード展」が開かれています。
会期は4月9日(日)までです。

マリー・ローランサンとその時代のパリのモードについての展覧会で、
東急百貨店本店土地の再開発に伴いBunkamuraが長期休館になる前の
最後の展示ということです。
マリー・ローランサン(1883-1956)はパリに生まれ、画家を目指している時に
ジョルジュ・ブラックと知り合い、キュビズムの影響を受けます。
「優雅な舞踏会あるいは田舎での舞踏」 1913年 マリー・ローランサン美術館

キュビズム風のきっぱりした画面構成ですが、少ない色数の淡いパステルカラーで
まとめ、甘美な雰囲気を持たせているところは、後のローランサンらしさが表れています。
特に淡いピンク色はローランサンを特徴付けています。
やがて、キュビズムから離れ始め、ローランサン独特の甘く優しい女性像を
描くようになります。
「黒いマンテラをかぶったグールゴー男爵夫人の肖像」
1923年頃 パリ、ポンピドゥー・センター

「ピンクのコートを着たグールゴー男爵夫人の肖像」
1923年頃 パリ、ポンピドゥー・センター

やがてローランサンはこのグールゴー男爵夫人を描いた肖像画などで注目を集め、
上流階級の女性から注文が殺到し、一躍パリの人気画家となっています。
あたらしさ、柔らかさ、品の良さがあって、人気の出た訳も分かります。
同じ頃、活躍したキース・ヴァン・ドンゲンの色彩や筆遣いの強さとはかなり趣きが違います。
「マドモアゼル・シャネルの肖像」 1923年 オランジュリー美術館

ココ・シャネル(1883 – 1971)もローランサンに肖像画を頼んでいます。
小犬や鳥も添えた、ローランサンの様式ですが、シャネルはこの絵を気に入らず、
受け取りを拒否しています。
ローランサンも気が強く口も悪く、辛辣なことを言う人だったので、シャネルを
「オーヴェルニュの田舎娘」とののしっています(ローランサンはパリ生まれ)。
夢見るような雰囲気のローランサンと機能的でモダンなデザインを追及した
シャネルでは、そもそも感性が合わなかったのかもしれません。
「ヴァランティーヌ・テシエの肖像」 1933年 ポーラ美術館

ヴァランティーヌ・テシエ(1892 – 1981)は女優で、薄紫のドレスを着た優雅な姿です。
腕の置き方はレオナルド・ダヴィンチの「受胎告知」に似ています。
「羽根飾りの帽子の女、あるいはティリア、あるいはタニア」
1924年 マリー・ローランサン美術館

大きな羽根飾りの付いた帽子、スカーフでお洒落に装っています。
第1次世界大戦が1918年に終わり、平和な時代が戻ったことで、女性のファッションへの
関心が高まった時代でした。
「ばらの女」 1930年 マリー・ローランサン美術館

バラを手に振り返った姿に動きがあり、淡いピンクと緑色が引き立っています。
マリー・ローランサンは舞台芸術やファッションとも深いつながりを持っています。
「牝鹿と二人の女」 1923年 ひろしま美術館

作曲家のフランシス・プーランク(1899 - 1963)はバレエ・リュス(ロシア・バレエ)の
ための作曲を依頼され、1923年にローランサンの絵に触発された作品、「牝鹿」を
作曲しています。
1924年の初演時にはローランサンが舞台装置と衣装を担当しています。
バレエ・リュスはロシア人のセルゲイ・ディアギレフ(1872-1929)が結成し、
1909年にパリで公演を始めたロシア・バレエ団で、シャネル、マティス、キリコ、
ブラック、アンドレ・ドランなども衣装や舞台美術を手掛けています。
「ニコル・グルーと二人の娘、ブノワットとマリオン」
1922年 マリー・ローランサン美術館

淡いピンクとグレーでまとめた、夢幻的な画面です。
1983年にシャネルと契約して、シャネルブランドの再興に貢献したカール・ラガーフェルド
(1933 – 2019)もローランサンの淡い色調の色遣いを学んでいます。
カール・ラガーフェルド、シャネル 2011年春夏 オートクチュールコレクションより
「ピンクとグレーの刺繍が施されたロング・ドレス」 2011年

展覧会のHPです。
Bunkamuraザ・ミュージアムはこの展覧会を最後に2027年度中まで長期休館に入ります。
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