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「茶の湯の床飾り」展 出光美術館
日比谷・有楽町
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日比谷の出光美術館では「茶の湯の床飾り」展が開かれています。
会期は5月28日(日)までです。

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茶の湯の掛物として珍重された書や画を出光美術館のコレクションを中心に展示する
展覧会です。

第Ⅰ章 床飾りのはじまり―唐絵と墨跡

「平沙落雁図」 牧谿 南宋時代 重要文化財
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元は「瀟湘八景図」の巻子本だったのを足利義満が座敷飾りのため切断したもので、
他に根津美術館の「漁村夕照図」や京都国立博物館の「遠浦帰帆図」などとして
何点か残っています。
牧谿は南宋から元時代にかけての禅僧の画家で、南中国の湿り気のある大気を
感じさせる作品は特に日本で好まれています。
足利義政のコレクションである東山御物を管理していた能阿弥(1397-1471)の
記録によれば、保有していた中国絵画279幅のうち、103幅が牧谿だったそうです。

「叭々鳥図」 牧谿 南宋時代 重要文化財
長002

叭々鳥(ははちょう)はムクドリ科の黒い鳥です。
輪郭線を使わない、没骨(もっこつ)という技法によって描いています。
手早い筆運びですが、鳥の姿を的確に捉えています。
左下に「牧谿」印、右下に足利義満の「天山」印が捺されています。
元はMOA美術館と五島美術館の所蔵する「叭々鳥図」と一組の
三福対だったと思われます。
  
「偈頌」 宗峰妙超(大燈国師) 
 鎌倉時代末期~南北朝時代初期 重要文化財 

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宋代の臨済宗の僧、白雲守端の語録を書いています。
宗峰妙超(1283-1338)は臨済宗の僧で、京都の大徳寺の開山であり、
書にも秀でていました。
堺の南宗寺や姫路酒井家の旧蔵でした。

「青磁袴腰香炉」 龍泉窯 南宋時代~元時代 重要文化財
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3本足の青銅器を模した径約22㎝の大きな香炉で、胴の部分が袴を着けた
ような形から名付けられました。
浙江省の龍泉窯は青磁の産地として有名です。

「唐物茶壷 銘 羽衣」 広東系 明時代 
茶の湯img702 (1)

高さ32cmの大きな壷で、大らかな姿をしています。
飴色の釉薬には薄く雲のような黒色が浮かんでいます。
蓋をした紙に書かれた「竹庵」は茶の名前と思われます。
香辛料などを入れた生活雑器だった物ですが、輸入され、茶壷として使われました。
侘茶の流行と共に茶席ではあまり使われなくなりましたが、贈答用の品として
珍重されました。
堺高石屋道勺、加賀前田家の伝来です。

「八ツ橋図屏風」(左隻) 酒井抱一 六曲一双 出光美術館
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尾形光琳の「八橋図屏風」を写したものですが、葉によって色の濃さを変えて
表裏を表し、かきつばたの数を少なくしてすっきりとまとめられています。
橋板にも少し緑色が入っています。
紙ではなく絹地に金箔を貼り、さらに金泥を刷いて、より輝くようにしている
とのことです。


第Ⅱ章 茶の湯の広まり― 一行書の登場

「待花軒図」 画:伝 周文 賛:大岳周崇ほか八僧 室町時代
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春を待つ庵の中には主の蔵書が見え、従者が庭を掃いている静かな風景です。
周文(生没年不詳)は相国寺の僧で、如拙に絵を学び、雪舟の師ともなっています。
足利将軍家の絵の御用も務めていますが、真筆と特定される作品はありません。
大岳周崇(1345-1423)は臨済宗の僧で、足利義満の帰依を受けています。
画題にちなんだ漢詩を賛として加える詩画軸が流行していました。

一行書 「賓中主々中賓」 江月宗玩 江戸時代前期
 書002

江月宗玩(1574-1643)は茶人の津田宗及の子で、臨済宗の僧です。
この一行書は「主」の字が「・」と「王」、々の字も「・」になっているので、
上からも下からも同じ字が並んでいるように見えます。

「破墨山水図」 画:雪舟 賛:景徐周麟 室町時代
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玉澗の簡潔な筆遣いに倣って、岩塊や川を行く小舟が描かれています。
明に渡航した雪舟は宋・元時代の水墨画に傾倒したようです。

「和歌色紙」 後陽成天皇 桃山時代 重要美術品
書img435 (7)

5月7日までの展示です。
金泥で雲と水流、燕子花、水草を描いた色紙に平安時代の歌人、源師時
(1017-1136)の歌を書いています。
絵柄を考えて、歌を選んでいます。

 むらさきの いろにそみゆる かきつはた いけのぬなはの はひかゝりつつ

源師時(1077-1136)は平安時代後期の歌人で、堀河百首に納められた歌です。
堀河百首は堀川天皇に献じられた百首歌で、16名の歌人の歌を集めています。

「青磁浮牡丹不遊環耳花生」 龍泉窯 南宋時代
悠久003

古代青銅器の形を模していますが、耳に付けた環は釉薬によって器に
貼り付いて動かないので、「不遊環」の名が付いています。
龍泉窯は浙江省龍泉市周辺にあった窯で、南宋から元代に青磁を生産していました。
澄んだ青色の、貫入(釉薬のヒビ)のほとんど無い器体が特徴です。
宋代の中国では牡丹が熱狂的に愛好されていたそうです。


特集 茶の湯と物語

 「酒呑童子絵巻」 江戸時代中期 
源頼光と四天王に藤原保昌の6人が八幡、住吉、熊野三神の導きにより、
大江山の酒呑童子を討ち取る物語です。
神より授かった神便鬼毒酒を酒盛りで鬼たちに勧める場面が展示されていて、
鬼にはそろそろ毒が回っています。

「銚子画賛」 仙厓 江戸時代後期
毒酒は鬼には毒ですが、人を元気付ける効能がありました。

  大江山鬼か岩やの一挑子 毒と薬は飲む人にあり

銚子と酒杯が描かれ、酒飲みへの諫めが書いてあります。

「四季花木図屏風」 鈴木其一 六曲一双 江戸時代後期 
右隻
琳派027

左隻
琳派028

右隻には白牡丹を囲むように紅白梅、蒲公英、菫、燕子花が
描かれています。
左隻に描かれているのは楓、白菊、桔梗、水仙、薮柑子です。
お酒呑童子のヤシの庭には四季の花が咲き乱れてました。


第Ⅲ章 近代数寄者の新たな趣向

「佐竹本三十六歌仙絵巻 柿本人麿」 
    画:伝 藤原信実 詞書:伝 後京極良経 鎌倉時代 重要文化財

やまと絵008

大名の佐竹家に伝わった鎌倉時代の三十六歌仙絵巻です。
元は2巻の絵巻だったのが、大正時代に巻頭部分の「住吉明神」を含め、
37枚に切断されたものです。
直衣(のうし)に、烏帽子、右手に筆、左手に紙を持って座った老人の姿です。
平安時代に、歌人の藤原兼房が夢の中で柿本人麻呂に会ったという逸話があり、
その時見たという姿で人麻呂は描かれるようになったということです。

 ほのゝとあかしのうらのあさきりに
  しまかくれゆく舟をしそおもふ

「継色紙」 伝 小野道風 平安時代 重要文化財
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「継色紙」は平安時代の名筆の一つで、「寸松庵色紙」、「升色紙」とともに
「三色紙」と呼ばれています。
元は万葉集、古今和歌集などの和歌を集めた冊子本で、優美な仮名の散らし書きで
書かれています。
大聖寺藩前田家の旧蔵で、近代に切断され、軸装されています。

 むめのかの ふりおく ゆきにうつり せは
  たれかは ゝなを わきて をらまし

「高野切第一種」 伝 紀貫之 平安時代 重要文化財
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「高野切」は現存する古今和歌集最古の歌集で、一部が高野山に伝来したので
この名が付いています。
福岡藩黒田家の旧蔵です。

 寛平のおほんときのきさいのみやの
 うたあわせのうた
           よみひとしら須
 むめのかをそてにうつしてととめては
  はるはすくともかたみならまし

寛平御時后宮歌合は寛平年間(889~893)に宇多天皇の母后班子の催した
歌合せです。
歌を寄せた紀貫之、紀友則、壬生忠岑らは三十六歌仙に選ばれています。

「石山切 伊勢集」 伝 藤原公任 平安時代後期 重要美術品
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雅な切継の料紙に書かれていて、王朝美を極めています。
「石山切」は白河天皇の六十の賀を祝って制作された、「西本願寺本三十六人家集」の
うち、「貫之集下」と「伊勢集」のことです。
西本願寺の所蔵でしたが、昭和4年(1929)に2つの集が分割され、断簡になった時に
付けられた名です。
昔は本願寺が石山(後の大阪城)にあったことにちなんでいます。

  をりとめてみまくほしきにふちのはな
   影をたにとやなみのよるらむ

    式部卿宮うせさせたまひて四十九日はてて人々家々ちりまかりいづるに

  かなしさぞまさりにまさる人のみに
   いかにおほかるなみだとかしる

  君によりはかきしにや我はせむ
   こひかへすべきいのちならねば

式部卿宮とは宇多天皇の第四皇子、敦慶親王のことで、美男として知られ、
伊勢との間に歌人の中務が生まれています。

「糸桜・萩図」 酒井抱一 江戸時代後期
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糸桜の枝が奇抜な形に曲がっています。
短冊と色紙には酒井抱一自作の句が自筆で書かれています。

糸桜  そめやすき 人のこゝろや 糸さくら
萩   白萩や 有明残る 臼の跡

「古染付菱口中蕪耳付花生」 景徳鎮窯 明時代末期 
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大きな菱形の口で、「寿」の字が入り、雷文、縞文、蓮弁文が施されています。
日本の茶人の注文で作られたと思われます。
明治の元勲、井上馨の旧蔵です。


第Ⅳ章 煎茶の掛物

「紫交趾釉鳳凰文急須」 青木木米 江戸時代後期 
「白泥煙霞幽賞涼炉・炉座」 青木木米 天保3年(1832) 

茶の湯img702 (3)

高欄付きの炉座と煎茶の涼炉の上に急須が置かれています。
急須は元は中国で湯を沸かす道具でした。
涼炉の風を通す窓の中に女性が二人入っており、胴に「煙霞幽賞」と彫られています。
涼炉は火を入れる消耗品のため、残っている品は多くありません。

「高麗写荒磯文急須」 青木木米 江戸時代後期 
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煎茶の茶器を多く手掛けた青木木米の作品です。
急須なので、高さ9.4㎝と小振りです。
胴の上部分には雲間から現れた太陽、波間から飛び上がる鮭、下の部分には
霊芝が彫られています。
箱書に「高麗写」とあり、白高麗と呼ばれる白磁を焼いた中国の徳化窯を
意識したと思われます。

「木米喫茶図」 田能村竹田 文政6年(1823)
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木米img450 (6)

文人画家、豊後の田能村竹田(1777 - 1835)が青木木米を訪ね、
煎茶で歓待された時の様子です。
小さな炉を前に、茶碗を手に座った木米は如何にもくつろいでいます。
賛には、音曲と化粧の巷にあって、煎茶を吟味して楽しんでいるとあります。
青木木米は文人として頼山陽や田能村竹田、上田秋成らと交流しています。

展覧会のHPです。

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【2023/04/30 19:07】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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