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「マティス展」 東京都美術館
上野
chariot

上野の東京都美術館では「マティス展」が開かれています。
会期は8月20日(日)までです。

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パリのポンピドゥー・センター 国立近代美術館の所蔵作品を中心にした
アンリ・マティス(1869-1954)の約20年振りの回顧展です。
会場の一部は撮影可能です。

マティスは国立美術学校の教授のギュスターヴ・モロー(1826-1898)の
教えをジョルジュ・ルオー(1871-1958)やアルベール・マルケ
(1875 – 1947)らと共に受け、特にルオーとは生涯の友になります。

「豪奢、静寂、逸楽」 1904年秋-冬 オルセー美術館寄託
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98.5×118.5cmの大きな作品で、新印象派風の点描で描かれています。
マティスは1904年に新印象派のポール・シニャックに招かれ、
アンリ=エドモン・クロスと共に南仏サントロペでひと夏を過ごし、
点描法を試しています。
1904年はシニャックが海辺の光景を輝く点描で描いていた頃です。
マティスはこの後、点描を離れ、フォーヴィスムに向かっています。
マティスの点描画は初めて観ました。

「豪奢I」 1907年夏 ポンピドゥー・センター
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フォーヴィスム時代の作品で、プリミティブな雰囲気があります。

「アルジェリアの女性」 1909年春 ポンピドゥー・センター
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マティスは1906年にアルジェリアなど北アフリカに旅行しています。
太い描線や強い色彩など、いかにもフォーヴィスムですが、のびのびとした描き振り、
明るい色調、装飾性の入った背景など、マティスらしさが表れています。

「金魚鉢のある室内」  1914年春 ポンピドゥー・センター
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セーヌ川の見えるアトリエの室内と窓の外の景色で、青を基本にした心地良い色調で
まとまっています。
金魚鉢は1912~13年にかけてのモロッコ旅行の思い出の品ということで、
水に映り込んだ景色の様子も面白く、気に入った作品です。
窓の内外を同じ画面に描く手法はマティスの特徴ですが、ラウル・デュフィも南仏を
テーマにこの手法の絵をよく描いています。

「コリウールのフランス窓」  1914年9–10月 ポンピドゥー・センター
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コリウールは南仏の港町で、マティスは1905年にアンドレ・ドランと共に訪れています。
この絵では明るい筈の外の景色は黒一色に塗られています。
第1次世界大戦でドイツがフランスに宣戦布告したのは1914年8月のことです。
マティスの長男と次男は徴兵され、マティス自身は2回も志願しますが、
高齢ということで断られています。
オディロン・ルドンは息子の安否を気遣って冬のパリの街を歩き回り、
肺炎をこじらせて、1916年に亡くなっています。

マティスは1918年から南仏のニースを制作の場としています。

「赤いキュロットのオダリスク」 1921年秋 ポンピドゥー・センター
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1920年代は「オダリスク」シリーズを手掛けています。
オリエンタリズムによる作品で、背景の屏風などの装飾性が際立ちます。

「ニースの室内、シエスタ」 1922年1月頃 ポンピドゥー・センター
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窓からの風も見えるような心地良い情景です。

「グールゴー男爵夫人の肖像」 1924年 パリ装飾美術館寄託
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こちらを向いた男爵夫人と鏡に映る後ろ姿、向こう向きの人物、
窓の外の景色といった、複雑で面白い画面構成です。
マリー・ローランサンもグールゴー男爵夫人の肖像を描いています。

「石膏のある静物」 1927年 石橋財団アーティゾン美術館
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「緑色の食器戸棚と静物」 1928年 ポンピドゥー・センター
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「座るバラ色の裸婦」 1935年4月–1936年 ポンピドゥー・センター
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「夢」  1935年5月 ポンピドゥー・センター
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秘書でモデルも務めたリディア・デレストルスカヤを描いています。
2色でまとめ、こちらに向けた腕は大きく描いた、斬新な画面です。

「鏡の前の青いドレス」 1937年 京都国立近代美術館
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マティスがよく描いた、鏡を用いた画面構成です。
ドレスにはヴォリュームがあり、フリルやレースで装飾性も持たせています。

「ラ・フランス」 1939年 ひろしま美術館
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第2次世界大戦の始まった年の作品です。
フランスを象徴する女性、ラ・フランスを描いていて、ラ・フランスは赤、白、青の
三色旗の服を着ています。
正面を向き、左右対称の形をした、モニュメンタルな姿をしています。
この作品は出版人のテリアード(1897-1982)が1937年に創刊した美術文芸雑誌、
「ヴェルヴ」の8号(1940)の表紙絵になり、ルオーのジャンヌ・ダルクを主題にした作品も
同じ8号に載せられています。

しかし、1940年にドイツ軍の機甲部隊に攻め込まれたフランスは降伏します。
マティスの妻と娘は対独レジスタンスの罪で捕らえられ、娘は危うく強制収容所に
入れられるところでした。

「芸術・文学雑誌ヴェルヴ」 表紙デザイン
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「マグノリアのある静物」 1941年12月 ポンピドゥー・センター
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マティスは1941年に十二指腸癌を患い、2年の間ほぼ寝たきりの状態となりますが、
対象を深く観察して制作を続けています。
この作品でも何回も作業を重ねて、その過程を写真に撮っています。

「若い女性と白い毛皮の外套」 1944年 グルノーブル美術館寄託
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「黄色と青の室内」 1946年 ポンピドゥー・センター
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黄色を基調に、窓の景色とテーブルを青にして区切り、描線もリズミカルで、
楽しい絵になっています。

「立っているヌード」 1947年 カトー㽍カンブレジ・マティス美術館寄託
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「赤の大きな室内」 1948年 ポンピドゥー・センター
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縦146㎝の大きな作品で、画面は幸福な赤色で埋め尽くされています。
壁の絵、花瓶、テーブル、敷物などが二つセットになった、面白い構図で、
マティスの到達点といえます。

マティスのシリーズ版画「ジャズ」、21点が展示されています。
晩年、体力の衰えたマティスは、助手が色を塗った紙をハサミで切り抜く
切り絵に取組んでいます。
題名はジャズですが、ジャズそのものを描いた作品は無く、サーカスや
旅行の思い出などを題材にしています。
切り絵の即興性はジャズに通じるものがありそうです。
明快な色彩で、切り絵の特徴を生かした軽やかで自由な作品です。

『「ジャズ」ピエロの葬式』 1947年 ポンピドゥー・センター
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『「ジャズ」 イカルス』 1947年 ポンピドゥー・センター
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「オレンジのあるヌード」 1953年 ポンピドゥー・センター
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亡くなる前年の作品で、墨と切り絵で構成されています。

マティスは晩年、自己の芸術の南仏ヴァンスのドミニコ会修道院ロザリオ礼拝堂の
内装、調度、祭服のデザインを手掛けています。
会場の最後には礼拝堂のビデオが写されています。

聖堂の中は青色のステンドグラスからの光に包まれています。
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画面構成や色彩をいろいろ工夫している様子も分かり、マティスの絵の楽しさを
存分に味わえる展覧会です。

展覧会のHPです。

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【2023/05/13 21:09】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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