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東京国立博物館 総合文化展 2023年8月 追加
上野
chariot

東京国立博物館の総合文化展(平常展)の記事の3回目に載せた「帝鑑図屏風」が
興味深かったので、中の絵12点すべてを載せます。
明代の政治家、張居正の著した、古来の君主の善例81と悪例31の例を集めた
「帝鑑図説」を基にしており、右隻に善行、左隻に愚行が描かれています。

「帝鑑図屏風」 狩野探幽他 江戸時代・17世紀
右隻
び1DSC05142

左隻
び2DSC05148

為政者の諫めとして描かれた屏風で、右隻に賢帝の善行、左隻に愚帝の愚行が
並べられています。
狩野派を中心に、長谷川派、海北派など、各派の絵師の合作です。

(右隻)
「任賢図治」 唐堯帝の善行 長谷川等岳
てDSC05341

堯帝は伝説上の聖王で、賢者を任用して国を治めた。

「解網施仁」 商湯王の善行 狩野左京進
てDSC05343

湯王は殷王朝の初代王とされ、猟師が四方に網を張っているのを見て、
三方を開けさせ、禽獣にも善を施した。

「却千里馬」 漢文帝の善行 狩野主膳
てDSC05347

文帝は一日に千里を駆ける馬を献上されたが、そんなに長い距離を駆ける
必要など無いとして、受け取らなかった。
帰っていく馬も見えます。

「詔儒講経」 漢宣帝の善行 狩野宗徳
てDSC05349


「賓礼故人」 漢光武の善行 狩野佐兵衛
てDSC05353

光武帝はかつて共に学んだ隠者の厳光を探して召し出した。

「拒関賜布」 漢光武の善行 狩野探幽
てDSC05355

光武帝が狩りの帰りが遅れたが、関所の門番が法を守って門を開けなかったことを
賞して布を与えた。

(左隻)
「戯挙烽火」 幽王の愚行 狩野興以
てDSC05359

周の幽王は寵愛していた褒姒を笑わせるため何度も偽の烽火を上げて
将兵を集めたため、反乱が起きて烽火を上げても誰も集まらず、
反乱軍に殺されてしまった。
狩野興以(?~1636)は狩野光信の門人で、光信の甥の探幽などを支えています。
手前では烽火に驚いた軍兵が紅旗を掲げ、慌てて駆け付けています。

「西邸鬻爵(せいていいくしゃく)」 霊帝の愚行 狩野甚ノ丞
てDSC05361

後漢の皇帝、霊帝は官職を売って宮殿を建てる費用を集めた。
狩野甚ノ丞は狩野永徳の甥です。

「羊車遊宴」 晋武帝の愚行 曽田(海北)友伯
てDSC05365

晋の武帝は羊に曳かせた車に乗って後宮を回り、車が止まった女性の部屋で
一夜を過ごした。
女性たちは入口に羊の好む塩を置いて留めようとしたことから、飲食店の入口の
盛り塩を置くようになったともいわれています。

「華林縦逸」 北斉主緯の愚行 (狩野)重源兵衛
てDSC05367


「斜封除官」 唐中宗の愚行 狩野甚之丞
てDSC05371

唐の中宗は盛んに売官を行なった。
実際は母の則天武后が行なっていました。

「玉樹新声」 陳後主の愚行 海北了伯
てDSC05373

陳叔宝(後主)は陳の最後の皇帝で、奸臣を重用し、隋に滅ぼされてしまった。
詩人としては評価が高く、「玉樹後庭花」は亡国の詩として有名です。


基になった「帝鑑図説」には他に善行の諫鼓謗木、愚行の脯林酒池(酒池肉林)・
坑儒焚書などが載っています。

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【2023/08/20 19:42】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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