東京
東京駅の東京ステーションギャラリーでは「春陽会誕生100年 それぞれの闘い
岸田劉生、中川一政から岡鹿之助へ」展が開かれています。
会期は11月12日(日)までです。
会期中、一部展示替えがありますので、展覧会のHPでご確認下さい。

春陽会は大正11年(1922)に設立され、現在まで続く洋画団体です。
展覧会では設立から1950年代までの作品、100点以上が展示されています。
元は日本美術院の洋画部の画家が脱退して設立した団体で、創立メンバーは
日本美術院系の足立源一郎、倉田白羊、小杉放庵、長谷川昇、森田恒友、山本鼎、
草土社系の岸田劉生、木村荘八、椿貞雄、中川一政、それに石井鶴三、梅原龍三郎、
萬鉄五郎らです。
小杉放菴 「双馬図」 1925年 小杉放菴記念日光美術館

尊敬するシャヴァンヌに倣った象徴主義的な趣きがあります。
小杉放菴(1881-1964)は元は洋画家として出発し、小杉未醒(みせい)と
名乗っていました。
1913年にフランスに留学し、そこで逆に東洋画に目覚め、後に飄々とした画風の
日本画に転向しています。
2015年に出光美術館で開かれた「没後50年 小杉放菴 ―〈東洋〉への愛」展の記事です。
岸田劉生 「麗子弾弦図」 1923年 京都国立近代美術館

麗子像の一つで、三味線を弾いているところです。
岸田劉生(1891-1929)はデューラーに傾倒していましたが、草土社系のメンバーも
岸田に倣って暗く重い雰囲気の絵を描いていたため、春陽会の中で軋轢が起こり、
それが原因で1925年に岸田は退会し、岸田を春陽会に招いた梅原龍三郎も
責任を感じて退会しています。
2019年に同じ東京ステーションギャラリーで開かれた「没後90年記念 岸田劉生展」の記事です。
椿貞雄 「朝子像」 1927年 平塚市美術館

椿貞雄(1896-1957)は岸田劉生に深く傾倒し、行動を共にしており、1927年には
春陽会を退会しています。
「麗子像」に倣った、いわゆる「デロリとした」描き振りで、岸田の影響が窺われます。
木村荘八 「わたしのラバさん」 1934年 愛知県美術館

木村荘八(1893-1958)は岸田劉生と出会ってからはフュウザン会、草土社、春陽会の
結成にも参加し、画風も岸田劉生に似たものになっています。
岸田は春陽会を脱会しますが、木村は残り、画風も岸田の影響から脱していきます。
演劇の一場面でしょうか、並んだ人物たちにスポットライトが当たっています。
「わたしのラバさん」はその頃流行した歌謡曲「酋長の娘」の一節です。
わたしのラバさん 酋長の娘 色は黒いが南洋じゃ美人
日本の南方進出を背景にした歌で、ラバさんとはloverのことです。
木村荘八 「銀座みゆき通り」 1958年 東京ステーションギャラリー

木村荘八は東京の街や人をこよなく愛し、よく描いています。
挿絵画家として永井荷風の新聞小説、「濹東綺譚」の挿絵を担当して大人気を得ています。
「濹東綺譚」の挿絵も何点か展示されています。
2013年に同じ東京ステーションギャラリーで開かれた「生誕120年 木村荘八展」の記事です。
中川一政 「向日葵」 1982年 真鶴町立中川一政美術館

薔薇と共によく描いた向日葵の絵です。
中川一政(1893-1991)は21歳の時に描いた作品が岸田劉生の目に留まったことから
画家の道を志すようになり、草土社、春陽会の結成に参加しています。
岸田の春陽会脱会後も留まり、最晩年まで出展を続けています。
2011年に同じ日本橋高島屋で開かれた「没後20年 中川一政展-独行此道-」の記事です。
萬鉄五郎 「羅布かづく人」 1925年 岩手県立美術館

萬鉄五郎(1885-1927)は春陽会の設立に参加しています。
「裸体美人」など、フォーヴィズムを取り入れた画家として有名で、このような
キュビスムの作品も描いています。
三岸好太郎 「少年道化」 1929年 東京国立近代美術館

三岸好太郎(1903-1934)は初期にはルオーの強い影響を受けており、画題などに
それが表れています
春陽会の第1回展に出品して入選し、その後も出品を続けていましたが、1930年に
独立美術協会に参加しています。
岡鹿之助 「魚」 1939年 横須賀美術館

岡鹿之助(1898-1978)は1940年に春陽会に入会しています。
1924年にフランスに渡り、藤田嗣治に師事しますが、第二次世界大戦のため、
1939年に帰国しています。
帰国した年の作品で、魚と魚の絵を一緒に並べるという面白い構成になっていて、
フランスで編み出した独自の点描法で描いています。
岡鹿之助 「窓」 1949年 愛知県美術館

手前からカーテン、植木鉢、掘割、建物と続けていく、岡鹿之助らしい構成的な作品です。
長谷川潔 「アレクサンドル三世橋とフランスの飛行船」
1930年 碧南市藤井達吉現代美術館

長谷川潔(1891-1980)はフランスで活躍した銅版画家で、深い黒色を基調にした
メゾチント(マニエール・ノワール)という技法を復活させています。
1928年に春陽会会員になりましたが、1918年にフランスに渡って以来、
第二次世界大戦中も含め一度も帰国していません。
この作品はメゾチントによる初期のもので、無数の斜めの線を見せていますが、
後には斜め線は無くなります。
2011年に横浜美術館で開かれた「生誕120年記念 長谷川潔展」の記事です。
前田藤四郎 「紅型」 1939年 大阪中之島美術館

10月17日からの展示です。
前田藤四郎(1904-1990)は関西の版画家で第7回春陽会に出品して以来、
出品を続けています。
他にも梅原龍三郎など、関係した多くの作家の作品が展示されています。
美術団体は離合集散がよくあり、いろいろな作家が出たり入ったりするものですが、
春陽会にもそれがあってなかなか面白いものです。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は「みちのく いとしい仏たち」展です。
会期は12月2日から2024年2月12日までです。

ラグビーWカップ2023フランス大会が始まり、丸の内仲通りでは丸の内ラグビー神社が
勧請され、ラグビーで盛り上がっています。



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東京駅の東京ステーションギャラリーでは「春陽会誕生100年 それぞれの闘い
岸田劉生、中川一政から岡鹿之助へ」展が開かれています。
会期は11月12日(日)までです。
会期中、一部展示替えがありますので、展覧会のHPでご確認下さい。

春陽会は大正11年(1922)に設立され、現在まで続く洋画団体です。
展覧会では設立から1950年代までの作品、100点以上が展示されています。
元は日本美術院の洋画部の画家が脱退して設立した団体で、創立メンバーは
日本美術院系の足立源一郎、倉田白羊、小杉放庵、長谷川昇、森田恒友、山本鼎、
草土社系の岸田劉生、木村荘八、椿貞雄、中川一政、それに石井鶴三、梅原龍三郎、
萬鉄五郎らです。
小杉放菴 「双馬図」 1925年 小杉放菴記念日光美術館

尊敬するシャヴァンヌに倣った象徴主義的な趣きがあります。
小杉放菴(1881-1964)は元は洋画家として出発し、小杉未醒(みせい)と
名乗っていました。
1913年にフランスに留学し、そこで逆に東洋画に目覚め、後に飄々とした画風の
日本画に転向しています。
2015年に出光美術館で開かれた「没後50年 小杉放菴 ―〈東洋〉への愛」展の記事です。
岸田劉生 「麗子弾弦図」 1923年 京都国立近代美術館

麗子像の一つで、三味線を弾いているところです。
岸田劉生(1891-1929)はデューラーに傾倒していましたが、草土社系のメンバーも
岸田に倣って暗く重い雰囲気の絵を描いていたため、春陽会の中で軋轢が起こり、
それが原因で1925年に岸田は退会し、岸田を春陽会に招いた梅原龍三郎も
責任を感じて退会しています。
2019年に同じ東京ステーションギャラリーで開かれた「没後90年記念 岸田劉生展」の記事です。
椿貞雄 「朝子像」 1927年 平塚市美術館

椿貞雄(1896-1957)は岸田劉生に深く傾倒し、行動を共にしており、1927年には
春陽会を退会しています。
「麗子像」に倣った、いわゆる「デロリとした」描き振りで、岸田の影響が窺われます。
木村荘八 「わたしのラバさん」 1934年 愛知県美術館

木村荘八(1893-1958)は岸田劉生と出会ってからはフュウザン会、草土社、春陽会の
結成にも参加し、画風も岸田劉生に似たものになっています。
岸田は春陽会を脱会しますが、木村は残り、画風も岸田の影響から脱していきます。
演劇の一場面でしょうか、並んだ人物たちにスポットライトが当たっています。
「わたしのラバさん」はその頃流行した歌謡曲「酋長の娘」の一節です。
わたしのラバさん 酋長の娘 色は黒いが南洋じゃ美人
日本の南方進出を背景にした歌で、ラバさんとはloverのことです。
木村荘八 「銀座みゆき通り」 1958年 東京ステーションギャラリー

木村荘八は東京の街や人をこよなく愛し、よく描いています。
挿絵画家として永井荷風の新聞小説、「濹東綺譚」の挿絵を担当して大人気を得ています。
「濹東綺譚」の挿絵も何点か展示されています。
2013年に同じ東京ステーションギャラリーで開かれた「生誕120年 木村荘八展」の記事です。
中川一政 「向日葵」 1982年 真鶴町立中川一政美術館

薔薇と共によく描いた向日葵の絵です。
中川一政(1893-1991)は21歳の時に描いた作品が岸田劉生の目に留まったことから
画家の道を志すようになり、草土社、春陽会の結成に参加しています。
岸田の春陽会脱会後も留まり、最晩年まで出展を続けています。
2011年に同じ日本橋高島屋で開かれた「没後20年 中川一政展-独行此道-」の記事です。
萬鉄五郎 「羅布かづく人」 1925年 岩手県立美術館

萬鉄五郎(1885-1927)は春陽会の設立に参加しています。
「裸体美人」など、フォーヴィズムを取り入れた画家として有名で、このような
キュビスムの作品も描いています。
三岸好太郎 「少年道化」 1929年 東京国立近代美術館

三岸好太郎(1903-1934)は初期にはルオーの強い影響を受けており、画題などに
それが表れています
春陽会の第1回展に出品して入選し、その後も出品を続けていましたが、1930年に
独立美術協会に参加しています。
岡鹿之助 「魚」 1939年 横須賀美術館

岡鹿之助(1898-1978)は1940年に春陽会に入会しています。
1924年にフランスに渡り、藤田嗣治に師事しますが、第二次世界大戦のため、
1939年に帰国しています。
帰国した年の作品で、魚と魚の絵を一緒に並べるという面白い構成になっていて、
フランスで編み出した独自の点描法で描いています。
岡鹿之助 「窓」 1949年 愛知県美術館

手前からカーテン、植木鉢、掘割、建物と続けていく、岡鹿之助らしい構成的な作品です。
長谷川潔 「アレクサンドル三世橋とフランスの飛行船」
1930年 碧南市藤井達吉現代美術館

長谷川潔(1891-1980)はフランスで活躍した銅版画家で、深い黒色を基調にした
メゾチント(マニエール・ノワール)という技法を復活させています。
1928年に春陽会会員になりましたが、1918年にフランスに渡って以来、
第二次世界大戦中も含め一度も帰国していません。
この作品はメゾチントによる初期のもので、無数の斜めの線を見せていますが、
後には斜め線は無くなります。
2011年に横浜美術館で開かれた「生誕120年記念 長谷川潔展」の記事です。
前田藤四郎 「紅型」 1939年 大阪中之島美術館

10月17日からの展示です。
前田藤四郎(1904-1990)は関西の版画家で第7回春陽会に出品して以来、
出品を続けています。
他にも梅原龍三郎など、関係した多くの作家の作品が展示されています。
美術団体は離合集散がよくあり、いろいろな作家が出たり入ったりするものですが、
春陽会にもそれがあってなかなか面白いものです。
展覧会のHPです。
次回の展覧会は「みちのく いとしい仏たち」展です。
会期は12月2日から2024年2月12日までです。

ラグビーWカップ2023フランス大会が始まり、丸の内仲通りでは丸の内ラグビー神社が
勧請され、ラグビーで盛り上がっています。



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