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「日本画聖地巡礼―東山魁夷の京都、 奥村土牛の鳴門―」展 山種美術館
恵比寿
chariot

広尾の山種美術館では、特別展「日本画聖地巡礼―東山魁夷の京都、
奥村土牛の鳴門―」展が開かれています。
会期は11月26日(日)までです。

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各地を描いた日本画の展示により、聖地巡礼するという企画で、同じ場所を写した写真も
一緒に展示されています。

奥田元宋 「奥入瀬(秋)」 1983年
元宋img793 (2)

縦約2m、横約5mの大作で、青森県十和田市の奥入瀬渓流の紅葉を描いています。
年を取ると大きな作品を描けなくなるので、80歳までは日展とは別に
年に1作描くことにしたそうで、これは71歳のときの作品です。
奥田元宋は赤色をあふれるように使ったことで有名で、「元宋の赤」と
呼ばれています。
その赤は深く、荘厳さがあります。

石田武 「四季奥入瀬 秋韻」 1985年 個人蔵
山種img276 (2)

こちらは紅葉の季節で、川岸は黄金色に輝いています。

奥田元宋 「松島暮色」 1976年
元宋img793 (5)

日本三景の一つ、宮城県松島の景色です。
雪を被った島が夕暮れの光に包まれて浮かび上がっています。

橋本明治 「朝陽桜」 1970年
東山002

福島県三春の滝桜のスケッチを元にした作品です。
1968年に完成した皇居宮殿を飾った作品群に感銘を受けた山種美術館の
初代館長、山﨑種二が同種の作品を各作家に直接依頼したものです。

速水御舟 「名樹散椿」 1929年 重要文化財
速10-6-2009_009

京都の地蔵院の五色八重散り椿を描いたものです。
花びらが一枚づつ散るという、珍しい椿です。
右から左に下る構図で、椿の枝はねじれながら伸び広がっています。
紅、白、斑の花を付けた枝は重みで傾き、地面には花びらが散っています。
奥にある葉、手前の葉を一枚一枚描き分け、量感と立体感があります。
背景は「撒きつぶし」という、金砂子を竹筒に入れて撒いていく方法です。
金箔のような縦横の線が無く、同じ調子の金地がびっしりと広がっています。
しんと静まった画面で、有無を言わせぬ迫力と緊迫感があります。

「京洛四季」の4点は親交の深かった川端康成に、京都の風景の残っている
今のうちに描くように奨められ、取組んだものです。

東山魁夷 「春静」 1968年
東山img457 (5)

洛北、鷹峯の桜です。
一面の北山杉を背景に、一本の満開の桜を配しています。
深い緑に桜が映えます。

東山魁夷 「緑潤う」 1976年
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修学院離宮の庭です。
木々の緑と池の水に映った影が涼しげです。

東山魁夷 「秋彩」 1986年
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小倉山の紅葉です。
手前に紅葉、背景に紫の小倉山の構図は、「春静」と同じです。

東山魁夷 「年暮る」 1968年
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河原町にある、京都ホテルオークラの屋上からの景色とのことです。
昔ながらの町家の屋根にも、遠くのお寺にも雪が積もっています。
手前の家の窓に一つ、明かりが点いています。
いかにも京都の暮れの情景です。
青と白でまとまった、東山魁夷らしい、静寂で、詩情のある世界です。

山口華楊 「木精」 1976年
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京都の北野天満宮にあるケヤクの老木で、以前飼っていたミミズクを添えたそうです。

今村紫紅 「大原の奥」 1909年
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平家が壇ノ浦で滅亡した後、京都の大原に隠棲した建礼門院徳子の姿です。
今村紫紅(1880-1916)は若くして亡くなりましたが、歴史人物画を得意としていました。

吉田善彦 「大仏殿春雪」 1969年
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東大寺大仏殿は淡い春雪に覆われ、屋根の鴟尾(しび)の金色が映えます。
吉田善彦は彩色した和紙に金箔を貼り、無数の細かい線を引いた後、軽く掻き取って
下地として淡く柔らかな画面をつくり出す、「吉田様式」を考案しています。
私も「大仏殿春雪」を初めて観た時、壮大でありながら暖かく優しさのある画面に
深い印象を受けました。
作品に近付いて観ると、画面に細かい金線が無数に見え、これが画面を淡く
柔らかなものにする「吉田様式」の効果であることが分かります。

奥村土牛 「吉野」 1977年
冨士008

霞の中に広がる、花の吉野です。
緑から青へと変わる色彩と山の間の霞によって、遠近感を出しています。
手前から奥へと三角形を重ね、桜の木も三角形にした理知的な構成の画面ですが、
描いていて、「歴史画を描いているようで、目頭が熱くなった」とのことです。
歴史画を描かなかった奥村土牛ですが、戦前生まれの人だけに、南朝の歴史への思いは
深かったのでしょう。

奥村土牛 「城」 1955年
山種005

輪郭線を使わず、対象を図形として捉え、画面を大胆に分割するという
セザンヌに通じる作風は姫路城を描いたこの作品に始まるといいます。
天守閣を下から見上げた構図ですが、画面の下側に大きく白壁の面を取り、
その上に屋根の構造物の重なりを黒く太い線で積み上げて描いています。

strong>奥村土牛 「鳴門」 1959年
土牛4-3-2010_005

遠くの島影に黄土色が少し使われている他は、緑青の緑と胡粉の白のみで
構成されています。
塗りを何十回も重ねた、近景の動と遠景の静が一体となった、量感のある、
重厚な作品です。
塗り重ねによる堅牢な画面造りは、奥村土牛の特徴です。
連絡船に乗っていて、たまたま渦潮に出会い、当時の小さな船の上から、
奥さんに帯を掴んでもらって、渦潮を覗き込んでスケッチしたということです。

守屋多々志 「平家厳島納経」(部分) 1978年
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平家一門の公達が何艘もの舟に乗って厳島神社に法華経を納めに詣でています。
武士たちのきらびやかな大鎧姿は歴史画の見せ所です。
前年に亡くなった恩師の前田青邨を悼んで納経の場面を描いたとのことです。

小堀鞆音 「那須宗隆射扇図」 1890年
教科書2

平家物語の一節の那須与一が屋島の戦いで扇を射落す場面です。
波の形は様式的ですが、平家物語の記述を参考にした戦装束の与一の姿は
濃い色彩で写実的に描かれています。
小堀鞆音(1864~1931)は安田靫彦の師で、歴史画を得意としています。

やはり、長く文化の中心だった京都周辺を題材にした作品が多いようです。

山種美術館のHPです。

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【2023/10/26 19:41】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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