上野
上野の国立西洋美術館では「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命」が
開かれています。
会期は2024年1月28日(日)までです。
記事は2回に分け、今日はその1です。

会場は一部を除き撮影可能です。
会場入口のフォトスポットです。

右下の牛はシャガールの「ロシアとロバとその他のものに」、左下はアンリ・ルソーの
「第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家を導く自由の女神」(国立近代美術館)
から採ったようです。
キュビスムの名は1908年にブラックの風景画が「キューブ(立方体)」と呼ばれたことに
始まります。
ピカソとブラックの生み出した、対象を画面に再現するのではなく、平面的、
幾何学的に再構成して描き出す手法は後の絵画に多大な影響を与えています。
展覧会ではパリのポンピドゥーセンターの所蔵するキュビスムの作品を展示、
解説しています。
先ず、セザンヌ、ゴーガンなどキュビスムに先立ち、そのきっかけとなった作家の
作品の展示です。
ポール・セザンヌ 「ポントワーズの橋と堰」 1881年 国立西洋美術館

2022年に展示されていた時の写真です。
ポール・ゴーガン 「海辺に立つブルターニュの少女たち」
1889年 国立西洋美術館( 松方コレクション)

ピカソやアンドレ・ドラン、美術批評家のアポリネールたちはギリシャ・ローマ以来の
古典的な芸術とは違う新しい芸術様式を求めていました。
そこで、アフリカやオセアニアの芸術に注目し、プリミティズムと呼ばれる様式を
生み出します。
マリー・ローランサン 「アポリネールとその友人たち(第2ヴァージョン)」
1909年 ポンピドゥーセンター

パブロ・ピカソ 「女性の胸像」 1907年6-7月 ポンピドゥーセンター

ピカソがキュビスムの始めと言われる「アビニヨンの娘たち」を描き上げたのは1907年で、
アフリカ芸術を見て驚き、制作中の作品を描き直したものです。
アンドレ・ドラン 「立てる裸婦」 1907年秋 ポンピドゥーセンター

ドランの彫刻は初めて観ました。
ジョルジュ・ブラック 「レスタックの高架橋」 1908年 ポンピドゥーセンター

鉄道橋が描かれていて、一瞬、セザンヌかと思わせる画面です。
ブラックは1907年にパリでセザンヌの回顧展やピカソの「アビニヨンの娘たち」を
見たことで二人の影響を受け、キュビスムの画家となっています。
その後、ピカソとブラックは協力してキュビスムを追及していき、ブラックはそれを
「ザイルで結ばれた登山者のようだった」と回想しています。
ジョルジュ・ブラック 「大きな裸婦」 1907年冬-1908年6月 ポンピドゥーセンター

ピカソのプリミティズムの影響を受けていて、力強さがあります。
パブロ・ピカソ 「肘掛け椅子に座る女性」 1910年 ポンピドゥーセンター

ピカソとブラックはその後、色数が限られ、画面分割が細かくなり、
かなり抽象的になった分析的キュビスムに進みます。
ジョルジュ・ブラック 「果物皿とトランプ」 1913年初頭 ポンピドゥーセンター

1911年頃から文字を入れたり1912年頃から木目を入れたりする、コラージュ的な
作品を作るようになり、総合的キュビスムと呼ばれます。
パブロ・ピカソ 「ヴァイオリン」 1914年 ポンピドゥーセンター

ブラックはピカソと一緒に制作していましたが、第一次世界大戦が始まり、
ブラックが出征したことでこの関係は終わっています。
その後、作風もキュビスムから離れています。
フアン・グリス 「本」 1911年 ポンピドゥーセンター

フアン・グリス(1887 - 1927)は1906年にパリに出て、ピカソやブラックの影響を受けて
キュビスムの画家となり、生涯キュビスムの作品を描きました。
フアン・グリス 「ヴァイオリンとグラス」 1913年 ポンピドゥーセンター

木目も描き入れた総合的キュビスムの作品で、グリスは明快な色彩が特徴です。
フアン・グリス 「朝の食卓」 1915年10月 ポンピドゥーセンター

木目やコラージュもありますが、やはり色彩は明快です。
フアン・グリス 「椅子の上の静物」1917年4月 ポンピドゥーセンター

ピカソやブラック、フアン・グリスとは違ったグループのキュビストについては、
次回に載せます。
展覧会のHPです。
chariot
上野の国立西洋美術館では「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命」が
開かれています。
会期は2024年1月28日(日)までです。
記事は2回に分け、今日はその1です。

会場は一部を除き撮影可能です。
会場入口のフォトスポットです。

右下の牛はシャガールの「ロシアとロバとその他のものに」、左下はアンリ・ルソーの
「第22回アンデパンダン展に参加するよう芸術家を導く自由の女神」(国立近代美術館)
から採ったようです。
キュビスムの名は1908年にブラックの風景画が「キューブ(立方体)」と呼ばれたことに
始まります。
ピカソとブラックの生み出した、対象を画面に再現するのではなく、平面的、
幾何学的に再構成して描き出す手法は後の絵画に多大な影響を与えています。
展覧会ではパリのポンピドゥーセンターの所蔵するキュビスムの作品を展示、
解説しています。
先ず、セザンヌ、ゴーガンなどキュビスムに先立ち、そのきっかけとなった作家の
作品の展示です。
ポール・セザンヌ 「ポントワーズの橋と堰」 1881年 国立西洋美術館

2022年に展示されていた時の写真です。
ポール・ゴーガン 「海辺に立つブルターニュの少女たち」
1889年 国立西洋美術館( 松方コレクション)

ピカソやアンドレ・ドラン、美術批評家のアポリネールたちはギリシャ・ローマ以来の
古典的な芸術とは違う新しい芸術様式を求めていました。
そこで、アフリカやオセアニアの芸術に注目し、プリミティズムと呼ばれる様式を
生み出します。
マリー・ローランサン 「アポリネールとその友人たち(第2ヴァージョン)」
1909年 ポンピドゥーセンター

パブロ・ピカソ 「女性の胸像」 1907年6-7月 ポンピドゥーセンター

ピカソがキュビスムの始めと言われる「アビニヨンの娘たち」を描き上げたのは1907年で、
アフリカ芸術を見て驚き、制作中の作品を描き直したものです。
アンドレ・ドラン 「立てる裸婦」 1907年秋 ポンピドゥーセンター

ドランの彫刻は初めて観ました。
ジョルジュ・ブラック 「レスタックの高架橋」 1908年 ポンピドゥーセンター

鉄道橋が描かれていて、一瞬、セザンヌかと思わせる画面です。
ブラックは1907年にパリでセザンヌの回顧展やピカソの「アビニヨンの娘たち」を
見たことで二人の影響を受け、キュビスムの画家となっています。
その後、ピカソとブラックは協力してキュビスムを追及していき、ブラックはそれを
「ザイルで結ばれた登山者のようだった」と回想しています。
ジョルジュ・ブラック 「大きな裸婦」 1907年冬-1908年6月 ポンピドゥーセンター

ピカソのプリミティズムの影響を受けていて、力強さがあります。
パブロ・ピカソ 「肘掛け椅子に座る女性」 1910年 ポンピドゥーセンター

ピカソとブラックはその後、色数が限られ、画面分割が細かくなり、
かなり抽象的になった分析的キュビスムに進みます。
ジョルジュ・ブラック 「果物皿とトランプ」 1913年初頭 ポンピドゥーセンター

1911年頃から文字を入れたり1912年頃から木目を入れたりする、コラージュ的な
作品を作るようになり、総合的キュビスムと呼ばれます。
パブロ・ピカソ 「ヴァイオリン」 1914年 ポンピドゥーセンター

ブラックはピカソと一緒に制作していましたが、第一次世界大戦が始まり、
ブラックが出征したことでこの関係は終わっています。
その後、作風もキュビスムから離れています。
フアン・グリス 「本」 1911年 ポンピドゥーセンター

フアン・グリス(1887 - 1927)は1906年にパリに出て、ピカソやブラックの影響を受けて
キュビスムの画家となり、生涯キュビスムの作品を描きました。
フアン・グリス 「ヴァイオリンとグラス」 1913年 ポンピドゥーセンター

木目も描き入れた総合的キュビスムの作品で、グリスは明快な色彩が特徴です。
フアン・グリス 「朝の食卓」 1915年10月 ポンピドゥーセンター

木目やコラージュもありますが、やはり色彩は明快です。
フアン・グリス 「椅子の上の静物」1917年4月 ポンピドゥーセンター

ピカソやブラック、フアン・グリスとは違ったグループのキュビストについては、
次回に載せます。
展覧会のHPです。
- 関連記事
-
- 「第18回 人・形展」 丸善丸の内本店 (2023/10/13)
- 「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展 ―美の革命」 国立西洋美術館 その2 (2023/10/12)
- 「パリ ポンピドゥーセンター キュビスム展―美の革命」 国立西洋美術館 その1 (2023/10/10)
- 「昭和会展受賞記念 谷敷謙展」 銀座 日動画廊 (2023/10/08)
- 「日本の近現代建築家たち」 湯島 国立近現代建築資料館 (2023/10/07)