上野
上野の国立西洋美術館で2024年1月28日(日)まで開かれている「パリ ポンピドゥーセンター
キュビスム展―美の革命」の記事の2回目です。
ピカソやブラックとは別に、ロベール・ドローネー、フェルナン・レジェなど、サロンなどにも
積極的に出品したサロン・キュビストと呼ばれる画家たちがいました。
キュビスムが世に知られるようになったのも、2011年の第27回アンデパンダン展へ多数の
作家が出したことによるものです。
ロベール・ドローネー 「パリ市」 1910-1912年 ポンピドゥーセンター

縦3mの大作で、ポンペイ壁画にもある古典的な三美神像やドローネーがよく題材にした
エッフェル塔などが描かれています。
左側の橋や船は尊敬するアンリ・ルソーの自画像の一部とのことです。
ピカソやブラックの分析的キュビスムとは違って、色彩も豊かです。
ロベール・ドローネー(1885-1941)はカラフルなキュビスムの絵を描いていましたが、
やがて純粋抽象画に変わり、フランス人で初めて抽象画を描いた画家の一人となります。
ロベール・ドローネー 「円形、太陽 NO.2」 1912-1913年 ポンピドゥーセンター

フェルナン・レジェ 「婚礼」 1911-1912年 ポンピドゥーセンター

大きな作品で、街を賑やかに行進する結婚式の行列が描かれています。
フェルナン・レジェ(1881 - 1955)は1907年のザンヌの回顧展を見て感銘を受けた
ことからキュビスムの画家となります。
やがて、機械文明に興味を示した、独自の画風を生み出していきます。
フランティシェク・クプカ 「色面の構成」 1910-1911年 ポンピドゥーセンター

写真や映画に興味を持ち、連続写真を思わせる画面をつくっています。
フランティシェク・クプカ(1871 – 1957)はボヘミア生まれで、キュビスムを経て
抽象画に進んでいます。
フランティシェク・クプカ 「挨拶」 1912年 ポンピドゥーセンター

挨拶をしているかのような二人の動きは更に抽象化されています。
アルベール・グレーズ 「収穫物の脱穀」 1912年 国立西洋美術館

これも多きな作品で、農作業をする人たちの群像です。
アルベール・グレーズたちは1911年にサロンでの最初のキュビスム展を開き、
大きな反響を呼んで、サロン・キュビストと呼ばれるようになります。
ドローネーの「パリ市」を真中にレジェの「婚礼」、グレーズの「収穫物の脱穀」が
並んで展示されている様は迫力があります。

アレクサンダー・アーキペンコ 「女性の頭部とテーブル」 1916年 国立近代美術館

対象を図形の集まりと認識したキュビスムは彫刻と親和性があるようです。
アレクサンダー・アーキペンコ(1887 - 1964)はウクライナ出身の、アメリカで活動した
キュビスムの彫刻家です。
マルク・シャガール 「ロシアとロバとその他のものに」 1911年 ポンピドゥーセンター

シャガールは1910年にパリに行き、フォービズムやキュビスムの影響を受けます。
その頃の代表作で、色彩は強く、形はごつごつしていますが、すでに
シャガールの世界が始まっています。
空の黒が印象的で、赤、青、緑はステンドグラスのように鮮やかです。
この絵は、夢想に取り付かれた人を「頭が飛び立っている」という、
ロシア語やイディッシュ語の言い回しが元にあるとのことです。
イディッシュ語は東欧系のユダヤ人の使っていた言葉です。
「ロシアとロバとその他のものに」という題名は、作品に感動した友人が
付けたものということですが、屋根の上にいるのは牛なので、ロバとは何を
指しているのでしょうか。
マルク・シャガール 「婚礼」 1911-12年 ポンピドゥーセンター

故郷の結婚式の様子をキュビスムを取り入れて描いています。
マルク・シャガール 「白い襟のベラ」 1917年 ポンピドゥーセンター

1915年に結婚したベラがモデルで、ゴヤの「巨人」のような画面ですが、
明るくのびやかです。。
シャガールは1910年にパリに出て5年間滞在しますが、その頃はキュビスムの
影響を受けています。
マルク・シャガール 「墓地」 1917年 ポンピドゥーセンター

ユダヤ人墓地の情景で、墓石にはヘブライ文字やダビデの星が彫ってあります。
空の色面分割など、キュビスムが入っています。
マルク・シャガール 「キュビスムの風景」 1918-19年 ポンピドゥーセンター

1917年にロシア革命が起こり、革命政府の文化運動に参加したシャガールは
1919年に故郷のヴィテブスクに美術学校を設立し、校長となって、教師として
抽象画の創始者の一人とされるマレーヴィチらを招きます。
このマレーヴィチはカリスマ性のある人で、幾何学的な抽象表現を徹底したため
生徒たちは具象のシャガールから離れてしまいます。
ひさしを貸して母屋を取られることになったシャガールは辞職してしまい、
やがてロシアからも出て行き、パリに移住します。
この絵は、シャガールの中では最もキュビスム風の作品で、一時は協力していた
マレーヴィチの影響があるということです。
2010年に東京藝術大学で開かれたシャガール展でこの作品が展示されていた時の
題名は「立体派の風景」でした。
レオポルド シュルヴァージュ 「エッティンゲン男爵夫人」 1917年

レオポルド シュルヴァージュ(1879 - 1968)はモスクワ生まれで、セザンヌやマティスに
感銘を受け、1908年にパリに出てきています。
1911年頃からキュビスムの作品を描いています。
周囲をエッフェル塔などパリの情景で囲んだ肖像画で、聖堂のイコンの趣きがあります。
アメデオ・モディリアーニ 「女性の頭部」 1912年 ポンピドゥーセンター

プリミティズムの影響のある彫刻ですが、モディリアーニの特徴の長い首が表されています。
モディリアーニは始め、彫刻も手掛けていましたが、資金不足と石の粉の肺への影響のため、
絵画に専念するようになります。
レイモン・デュシャン = ヴィヨン 「大きな馬」 1914年(1966年鋳造) 大阪中之島美術館

ブロンズのボリューム感のある彫刻です。
レイモン・デュシャン = ヴィヨン(1876 - 1918)はフランスの彫刻家で、マルセル・デュシャンの
兄でもあります。
キュビスムの作品を制作していましたが、第一次世界大戦でフランス軍の病院で働き、
腸チフスに罹り、大戦の終わる直前に亡くなっています。
マリア・ブランシャール 「輪を持つ子供」 1917年 ポンピドゥーセンター

マリア・ブランシャール(1881 - 1932)はスペイン生まれの女性画家で、パリで
フアン・グリスらの影響を受け、キュビスムの作品を描きます。
文字も書き入れ、背景には装飾性があります。
第一次世界大戦が始まると、何故かキュビスムはドイツ由来で、フランス文化を破壊している
とする論調が現れたそうです。
赤い髪、口髭のドイツ人と思われる人物がキュビスムの絵を描いているという戯画です。
難解ともいえる芸術への感情が生んだ誤解なのでしょうが、ドイツと結び付けられるとは
キュビスムも迷惑に思ったことでしょう。

パブロ・ピカソ 「輪を持つ少女」 1919年春 ポンピドゥーセンター

第一次世界大戦が終わると、ピカソたちも安定した雰囲気を求める古典回帰の
風潮の影響を受けます。
キュビスムの作品ですが、背後の鏡は写実的になっています。
フェルナン・レジェ 「タグボートの甲板」 1920年 ポンピドゥーセンター

形がくっきりして、後のレジェらしくなっています。
アンリ・ローランス 「果物皿を持つ女性」 1921年 ポンピドゥーセンター

アンリ・ローランス(1885 – 1954)は石工でしたが、1911年にブラックに出会ったことから
キュビスムの彫刻を手掛けるようになります。
感銘を受けたシャルトル大聖堂の人像円柱を基にしているとのことで、豊穣を表す
女性像です。
ル・コルビュジエ 「静物」 1922年 ポンピドゥーセンター

国立西洋美術館を設計したル・コルビュジエもキュビスムによる作品を描いていました。
ピカソやブラックばかりでなく、サロン・キュビストの作家やシャガールなど、数多くの
作家たちの作品が集まり、その歴史も分かる、とても興味深い展覧会です。
人気の高い展覧会で、私の行った日も多くの来館者がありました。
展覧会のHPです。
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上野の国立西洋美術館で2024年1月28日(日)まで開かれている「パリ ポンピドゥーセンター
キュビスム展―美の革命」の記事の2回目です。
ピカソやブラックとは別に、ロベール・ドローネー、フェルナン・レジェなど、サロンなどにも
積極的に出品したサロン・キュビストと呼ばれる画家たちがいました。
キュビスムが世に知られるようになったのも、2011年の第27回アンデパンダン展へ多数の
作家が出したことによるものです。
ロベール・ドローネー 「パリ市」 1910-1912年 ポンピドゥーセンター

縦3mの大作で、ポンペイ壁画にもある古典的な三美神像やドローネーがよく題材にした
エッフェル塔などが描かれています。
左側の橋や船は尊敬するアンリ・ルソーの自画像の一部とのことです。
ピカソやブラックの分析的キュビスムとは違って、色彩も豊かです。
ロベール・ドローネー(1885-1941)はカラフルなキュビスムの絵を描いていましたが、
やがて純粋抽象画に変わり、フランス人で初めて抽象画を描いた画家の一人となります。
ロベール・ドローネー 「円形、太陽 NO.2」 1912-1913年 ポンピドゥーセンター

フェルナン・レジェ 「婚礼」 1911-1912年 ポンピドゥーセンター

大きな作品で、街を賑やかに行進する結婚式の行列が描かれています。
フェルナン・レジェ(1881 - 1955)は1907年のザンヌの回顧展を見て感銘を受けた
ことからキュビスムの画家となります。
やがて、機械文明に興味を示した、独自の画風を生み出していきます。
フランティシェク・クプカ 「色面の構成」 1910-1911年 ポンピドゥーセンター

写真や映画に興味を持ち、連続写真を思わせる画面をつくっています。
フランティシェク・クプカ(1871 – 1957)はボヘミア生まれで、キュビスムを経て
抽象画に進んでいます。
フランティシェク・クプカ 「挨拶」 1912年 ポンピドゥーセンター

挨拶をしているかのような二人の動きは更に抽象化されています。
アルベール・グレーズ 「収穫物の脱穀」 1912年 国立西洋美術館

これも多きな作品で、農作業をする人たちの群像です。
アルベール・グレーズたちは1911年にサロンでの最初のキュビスム展を開き、
大きな反響を呼んで、サロン・キュビストと呼ばれるようになります。
ドローネーの「パリ市」を真中にレジェの「婚礼」、グレーズの「収穫物の脱穀」が
並んで展示されている様は迫力があります。

アレクサンダー・アーキペンコ 「女性の頭部とテーブル」 1916年 国立近代美術館

対象を図形の集まりと認識したキュビスムは彫刻と親和性があるようです。
アレクサンダー・アーキペンコ(1887 - 1964)はウクライナ出身の、アメリカで活動した
キュビスムの彫刻家です。
マルク・シャガール 「ロシアとロバとその他のものに」 1911年 ポンピドゥーセンター

シャガールは1910年にパリに行き、フォービズムやキュビスムの影響を受けます。
その頃の代表作で、色彩は強く、形はごつごつしていますが、すでに
シャガールの世界が始まっています。
空の黒が印象的で、赤、青、緑はステンドグラスのように鮮やかです。
この絵は、夢想に取り付かれた人を「頭が飛び立っている」という、
ロシア語やイディッシュ語の言い回しが元にあるとのことです。
イディッシュ語は東欧系のユダヤ人の使っていた言葉です。
「ロシアとロバとその他のものに」という題名は、作品に感動した友人が
付けたものということですが、屋根の上にいるのは牛なので、ロバとは何を
指しているのでしょうか。
マルク・シャガール 「婚礼」 1911-12年 ポンピドゥーセンター

故郷の結婚式の様子をキュビスムを取り入れて描いています。
マルク・シャガール 「白い襟のベラ」 1917年 ポンピドゥーセンター

1915年に結婚したベラがモデルで、ゴヤの「巨人」のような画面ですが、
明るくのびやかです。。
シャガールは1910年にパリに出て5年間滞在しますが、その頃はキュビスムの
影響を受けています。
マルク・シャガール 「墓地」 1917年 ポンピドゥーセンター

ユダヤ人墓地の情景で、墓石にはヘブライ文字やダビデの星が彫ってあります。
空の色面分割など、キュビスムが入っています。
マルク・シャガール 「キュビスムの風景」 1918-19年 ポンピドゥーセンター

1917年にロシア革命が起こり、革命政府の文化運動に参加したシャガールは
1919年に故郷のヴィテブスクに美術学校を設立し、校長となって、教師として
抽象画の創始者の一人とされるマレーヴィチらを招きます。
このマレーヴィチはカリスマ性のある人で、幾何学的な抽象表現を徹底したため
生徒たちは具象のシャガールから離れてしまいます。
ひさしを貸して母屋を取られることになったシャガールは辞職してしまい、
やがてロシアからも出て行き、パリに移住します。
この絵は、シャガールの中では最もキュビスム風の作品で、一時は協力していた
マレーヴィチの影響があるということです。
2010年に東京藝術大学で開かれたシャガール展でこの作品が展示されていた時の
題名は「立体派の風景」でした。
レオポルド シュルヴァージュ 「エッティンゲン男爵夫人」 1917年

レオポルド シュルヴァージュ(1879 - 1968)はモスクワ生まれで、セザンヌやマティスに
感銘を受け、1908年にパリに出てきています。
1911年頃からキュビスムの作品を描いています。
周囲をエッフェル塔などパリの情景で囲んだ肖像画で、聖堂のイコンの趣きがあります。
アメデオ・モディリアーニ 「女性の頭部」 1912年 ポンピドゥーセンター

プリミティズムの影響のある彫刻ですが、モディリアーニの特徴の長い首が表されています。
モディリアーニは始め、彫刻も手掛けていましたが、資金不足と石の粉の肺への影響のため、
絵画に専念するようになります。
レイモン・デュシャン = ヴィヨン 「大きな馬」 1914年(1966年鋳造) 大阪中之島美術館

ブロンズのボリューム感のある彫刻です。
レイモン・デュシャン = ヴィヨン(1876 - 1918)はフランスの彫刻家で、マルセル・デュシャンの
兄でもあります。
キュビスムの作品を制作していましたが、第一次世界大戦でフランス軍の病院で働き、
腸チフスに罹り、大戦の終わる直前に亡くなっています。
マリア・ブランシャール 「輪を持つ子供」 1917年 ポンピドゥーセンター

マリア・ブランシャール(1881 - 1932)はスペイン生まれの女性画家で、パリで
フアン・グリスらの影響を受け、キュビスムの作品を描きます。
文字も書き入れ、背景には装飾性があります。
第一次世界大戦が始まると、何故かキュビスムはドイツ由来で、フランス文化を破壊している
とする論調が現れたそうです。
赤い髪、口髭のドイツ人と思われる人物がキュビスムの絵を描いているという戯画です。
難解ともいえる芸術への感情が生んだ誤解なのでしょうが、ドイツと結び付けられるとは
キュビスムも迷惑に思ったことでしょう。

パブロ・ピカソ 「輪を持つ少女」 1919年春 ポンピドゥーセンター

第一次世界大戦が終わると、ピカソたちも安定した雰囲気を求める古典回帰の
風潮の影響を受けます。
キュビスムの作品ですが、背後の鏡は写実的になっています。
フェルナン・レジェ 「タグボートの甲板」 1920年 ポンピドゥーセンター

形がくっきりして、後のレジェらしくなっています。
アンリ・ローランス 「果物皿を持つ女性」 1921年 ポンピドゥーセンター

アンリ・ローランス(1885 – 1954)は石工でしたが、1911年にブラックに出会ったことから
キュビスムの彫刻を手掛けるようになります。
感銘を受けたシャルトル大聖堂の人像円柱を基にしているとのことで、豊穣を表す
女性像です。
ル・コルビュジエ 「静物」 1922年 ポンピドゥーセンター

国立西洋美術館を設計したル・コルビュジエもキュビスムによる作品を描いていました。
ピカソやブラックばかりでなく、サロン・キュビストの作家やシャガールなど、数多くの
作家たちの作品が集まり、その歴史も分かる、とても興味深い展覧会です。
人気の高い展覧会で、私の行った日も多くの来館者がありました。
展覧会のHPです。
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