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「激動の時代 幕末明治の絵師たち」展 サントリー美術館
六本木・乃木坂
chariot

六本木のサントリー美術館では「激動の時代 幕末明治の絵師たち」展が開かれています。
会期は12月3日(日)まで、休館日は火曜日です。

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国内政治が大転換し、絵画の世界にも西洋画の流入など大きな変革のあった時代の
絵師たちの活躍を特集した展覧会です。

会期中、かなりの展示替えがありますので、展覧会のHPでご確認下さい。

「四季耕作図屛風」) 六曲一隻 狩野養信
 江戸時代 文政8年(1825) サントリー美術館

右隻
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左隻
サIMG_0663

11月8日からの展示です。
桜の咲く春、田楽踊りに合わせて田植えをしています。
紅葉の秋、4人掛かりで石臼で籾摺りをしたり、唐箕(とうみ)を使って
籾殻を選り分けています。
11代将軍徳川家斉の娘、盛姫の肥前佐賀藩10代藩主鍋島直正(閑叟)との
婚礼調度として制作されたものです。
鍋島直正(1815-1871)は幕末の佐賀藩の近代化に成功し、藩は維新勢力の
一角となっています。
狩野養信(かのうおさのぶ、1796-1846)は江戸木挽町狩野派9代目の絵師で、
最晩年の僅かな間、橋本雅邦、狩野芳崖を弟子にしています。


狩野一信(1816-1863)が描き、芝の増上寺に奉納した全100幅の五百羅漢像の内、
6幅が展示されています。
狩野一信は幕末に活躍した絵師ですが、誰に学んだかよく分かっていません。
縦172cm、横85cmの大きな掛軸で、各幅に5名ずつ描かれ、その迫力には圧倒されます。

「五百羅漢図 第二十一」 狩野一信 嘉永7 ~文久3年(1854 ~ 63) 大本山増上寺
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羅漢たちが風を起こして、亡者たちを地獄の業火から救っています。

「五百羅漢図 第二十二」
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鬼が火を焚いている地獄の窯に杖を下して亡者を救い上げています。

「五百羅漢図 第四十五」
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西洋絵画の陰影法を取り入れて、灯明の明かりによる光と影を描いています。
不思議な雰囲気の情景になっています。

「五百羅漢図 第四十九」
羅漢004

墓場で修行して人の世の虚しさを悟っているところです。
月夜のほの暗さを表わすため、絵の裏側から彩色する裏彩色がなされている
とのことです。

五百羅漢図は第二十一・二十二・四十五・四十六・四十九・五十幅が展示されています。

2011年に江戸東京博物館で「五百羅漢―増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師 狩野一信」展が
開かれ、五百羅漢図全100幅が一挙に公開されました。

「五百羅漢」展の記事です。

「讃岐院眷属をして為朝をすくふ図」 歌川国芳 
 大判錦絵3枚続 嘉永3~5年(1850-1852)

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11月6日までの展示です。
滝沢馬琴の「椿説弓張月」の一場面で、讃岐院(崇徳上皇)に遣わされた
鰐鮫と烏天狗が、琉球に渡ろうとして海で嵐に遭った源為朝父子を救助しています。
大判を3枚並べて一つの絵にした躍動的な画面には迫力があります。
史実では、崇徳上皇は保元の乱に敗れ、讃岐に流されて、そこで憤死しています。
源為朝は崇徳上皇に従って戦い、捕えられて伊豆大島に流されています。
歌川国芳(1798~1861)は初代歌川豊国(1769~1825)の弟子で、勇壮な武者絵を
得意としています。

「魁題百撰相 井上五郎兵衛」 大判錦絵 月岡芳年
 江戸~明治時代 19世紀 町田市立国際版画美術館

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11月6日までの展示です。
「魁題百撰相」は南北朝から江戸初期までの豪傑などの人物を描いたことに
なっていますが、当時は時事的な問題を扱うのを憚られていました。
鉢巻を締め、石灯籠の陰で剣を構えているのは上野寛永寺に立て籠もった
彰義隊士のようです。

「魁題百撰相 菅谷九右ヱ門」 大判錦絵 月岡芳年
 慶応4年(1868) 町田市立国際版画美術館

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11月6日までの展示です。
菅谷九右ヱ門(長頼)は織田信長の家臣で、本能寺の変で信忠と共に討死しています。
月岡芳年(1839-92)は歌川国芳の弟子で、多くの弟子の中で最もその作風を
受け継いだとされています。

「鍾馗ニ鬼図」 双幅 河鍋暁斎 明治4 ~ 22年(1871 ~ 89) 板橋区立美術館
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虎に乗り、剣を構えて睨みつける鍾馗に恐れをなした鬼たちが橋を渡って逃げますが、
慌てて川に落ちる者もいます。
河鍋暁斎(1831-1889)は幕末から明治にかけての絵師で、始め歌川国芳に弟子入りし、
その後狩野派に学び、後にさまざまな画法も手掛けて、
多彩な画業を展開しています。

「ヒポクラテス像」 渡辺崋山 天保11年(1840) 九州国立博物館
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ヒポクラテスは古代ギリシャの医者で、医聖と呼ばれ、医師の倫理を謳った
ヒポクラテスの誓いで有名です。
渡辺崋山は陰影を付けて立体感を出す西洋画の技法を取り入れていて、
「鷹見泉石像」などにそれが表れています。

「捕鯨図」 安田雷洲 江戸時代 19世紀 歸空庵(板橋区立美術館寄託)
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11月8日からの展示です。
そそり立つ山には洋画風の陰影が付けられ、海には西洋帆船が浮かんでいます。
安田雷洲(生没年不詳)は御家人で、葛飾北斎に弟子入りし、浮世絵を学び、
後に洋風画や銅版画も手掛けています。

「忠臣蔵十一段目夜討之図」 歌川国芳 天保3年(1832)頃 川崎・砂子の里資料館
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11月6日までの展示です。
吉良邸討入の場面ですが、どこか変わった雰囲気の光景です。
オランダの銅版画の図柄を使っているためで、西洋式の遠近法が見られ、
人物には影もあり、建物も日本家屋にしてはおかしな形です。
国芳が西洋画に関心を持っていたことが分かります。

「赤穂義士報讐図」 安田雷洲   江戸時代 19世紀 本間美術館
大石内蔵助が討ち取った吉良上野介の首を抱えて座り、赤穂浪士たちが周りを囲んで
喜んでいるという、不思議な雰囲気の絵です。
実はオランダの銅版画にあった聖母子像の構図を借りたものでした。

安田雷洲が東海道などを描いた細密な銅版画も多数、展示されています。

「横浜異人商館座敷之図」 五雲亭貞秀 大判錦絵三枚続
 文久元年(1861) サントリー美術館

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安政5年( 1858)の 日米修好通商条約により開港して間もない横浜の異人館の
様子です。
シャンデリアが下がり、窓から帆船の見える室内に日本人、西洋人、清国人が
描かれています。
歌川貞秀(五雲亭貞秀、1807- 1879?)は歌川国貞(1786-1865)の門人で、
開港した横浜を題材にした横浜絵を数多く描いています。

「東京日本橋風景」 歌川芳虎 大判錦絵三枚続
 明治3年(1870) サントリー美術館

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10月30日までの展示です。
日本橋がまだ太鼓橋の頃です。
騎馬、馬車、荷車、人力車や自転車まで描き込まれていて、力士は両刀を差しています。
左側の高札場がひときわ立派で、人力車はこの年に高札場横で営業を始めています。
日本橋の絵で高札場が注目されるのは、新しいお触れが次々出される明治維新直後の
特徴とのことです。

「隅田川夜」 小林清親 明治14年(1881)  サントリー美術館
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11月6日までの展示です。
川辺にたたずむ男女のシルエットが浮かび、川面には人家の明かりが映っています。
「光線画」と呼ばれる西洋画を取入れた、光と影を強調した技法で人気を得ています。
小林清親(1847 -1915〉は下級幕臣の出身で、鳥羽伏見の戦いや上野戦争にも
参加しています。
後に河鍋暁斎や柴田是真に絵を学び、明治の東京を叙情的な浮世絵に描いて、
最後の浮世絵師と呼ばれるようになります。

谷文晁、菊池容斎、柴田是真など狩野派や浮世絵、洋風画など多様な作品が
展示されていて、幕末明治という時代の熱気が伝わってくる展覧会です。

フォトスポットは歌川国芳の「相馬の古内裏」です。

サDSC07496


展覧会のHPです。

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【2023/10/21 17:55】 美術館・博物館 | トラックバック(0) | コメント(0) |
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