上野
東京国立博物館の総合文化展(平常展)では平成館で開催中の「やまと絵 受け継がれる
王朝の美」展に合わせて、特集「近世のやまと絵-王朝美の伝統と継承-」が開かれています。
会期は12月3日(日)までです。
記事は2回に分け、今日は源氏物語など物語に関するものと琳派の作品を載せます。
写真は以前に撮影したものです。
「車争図屏風」 4曲1隻 狩野山楽 江戸時代・慶長9年(1604) 重要文化財


「源氏物語」の「葵」の帖、賀茂祭の見物の場所を葵の上と六条御息所の牛車が
争う場面です。
右側の整然とした行列と、左側の従者たちの争いが対照的です。
狩野山楽(1559-1635)は元は近江浅井氏の家臣の子で、豊臣秀吉の命で
狩野永徳の養子となり、狩野探幽たちが徳川家に従って江戸に下った後も京に残り、
その系統は京狩野と呼ばれるようになります。
「源氏物語図屏風(胡蝶)」狩野〈晴川院〉養信 江戸時代・19世紀

六曲一双の左隻です。
花の盛りのころの遊びの模様で、女童が蝶の衣装を着て、山吹の花を活けた
金の花瓶を持っています。

狩野養信(かのうおさのぶ、1796-1846)は江戸狩野の絵師で、
最晩年の僅かな間、橋本雅邦、狩野芳崖を弟子にしています。
「栄花物語図屏風」 6曲1双 土佐光祐 江戸時代・17~18世紀
「栄花物語」は藤原道長たち藤原氏の繁栄を記した歴史物語で、作者は赤染衛門などの
女性ではないかとされています。
右隻

部分

右隻は「月の宴」の巻で、村上天皇の御前で植木の優劣を競う、前栽合せの場面です。
左隻

部分

左隻には「はつ花」の巻で、中宮彰子の出産場面が描かれています。
魔除けに弓の弦を鳴らす鳴弦も行なわれています。

土佐光祐(1675―1710)は土佐光起の孫です。
「伊勢物語 鳥の子図」 岩佐又兵衛 安土桃山~江戸時代・17世紀


女が自分に恨み言を述べた男に歌を返したというお話で、
女性が流水に何か書いています。
ゆく水に数かくよりもはかなきは 思わぬ人を 思ふなりけり
岩佐又兵衛らしい、力のある描き振りです。
元は福井の豪商の金屋家の所蔵の「金谷屏風」と呼ばれた6曲1双の屏風に
12枚の絵を貼ってあったものが、明治時代に別々に剝がされたとのことです。
「槙図屏風」 尾形光琳 江戸時代・18世紀

元は右方向に続いていた画面を切詰めて、二曲一双の屏風に仕立てたと
考えられるそうです。
「桜山吹図屏風」 伝俵屋宗達 江戸時代・17世紀

右隻

左隻

右隻部分

大きく土坡を配し、桜と山吹を厚塗りで描き入れ、和歌色紙が貼られています。
「四季花鳥図巻」巻下 酒井抱一筆 江戸時代・文化15年(1818)





上下巻の下巻で、秋冬の花鳥が鮮やかな色彩で描かれています。
巻末に「文化戊寅晩春 抱一暉真写之」とあります。
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東京国立博物館の総合文化展(平常展)では平成館で開催中の「やまと絵 受け継がれる
王朝の美」展に合わせて、特集「近世のやまと絵-王朝美の伝統と継承-」が開かれています。
会期は12月3日(日)までです。
記事は2回に分け、今日は源氏物語など物語に関するものと琳派の作品を載せます。
写真は以前に撮影したものです。
「車争図屏風」 4曲1隻 狩野山楽 江戸時代・慶長9年(1604) 重要文化財


「源氏物語」の「葵」の帖、賀茂祭の見物の場所を葵の上と六条御息所の牛車が
争う場面です。
右側の整然とした行列と、左側の従者たちの争いが対照的です。
狩野山楽(1559-1635)は元は近江浅井氏の家臣の子で、豊臣秀吉の命で
狩野永徳の養子となり、狩野探幽たちが徳川家に従って江戸に下った後も京に残り、
その系統は京狩野と呼ばれるようになります。
「源氏物語図屏風(胡蝶)」狩野〈晴川院〉養信 江戸時代・19世紀

六曲一双の左隻です。
花の盛りのころの遊びの模様で、女童が蝶の衣装を着て、山吹の花を活けた
金の花瓶を持っています。

狩野養信(かのうおさのぶ、1796-1846)は江戸狩野の絵師で、
最晩年の僅かな間、橋本雅邦、狩野芳崖を弟子にしています。
「栄花物語図屏風」 6曲1双 土佐光祐 江戸時代・17~18世紀
「栄花物語」は藤原道長たち藤原氏の繁栄を記した歴史物語で、作者は赤染衛門などの
女性ではないかとされています。
右隻

部分

右隻は「月の宴」の巻で、村上天皇の御前で植木の優劣を競う、前栽合せの場面です。
左隻

部分

左隻には「はつ花」の巻で、中宮彰子の出産場面が描かれています。
魔除けに弓の弦を鳴らす鳴弦も行なわれています。

土佐光祐(1675―1710)は土佐光起の孫です。
「伊勢物語 鳥の子図」 岩佐又兵衛 安土桃山~江戸時代・17世紀


女が自分に恨み言を述べた男に歌を返したというお話で、
女性が流水に何か書いています。
ゆく水に数かくよりもはかなきは 思わぬ人を 思ふなりけり
岩佐又兵衛らしい、力のある描き振りです。
元は福井の豪商の金屋家の所蔵の「金谷屏風」と呼ばれた6曲1双の屏風に
12枚の絵を貼ってあったものが、明治時代に別々に剝がされたとのことです。
「槙図屏風」 尾形光琳 江戸時代・18世紀

元は右方向に続いていた画面を切詰めて、二曲一双の屏風に仕立てたと
考えられるそうです。
「桜山吹図屏風」 伝俵屋宗達 江戸時代・17世紀

右隻

左隻

右隻部分

大きく土坡を配し、桜と山吹を厚塗りで描き入れ、和歌色紙が貼られています。
「四季花鳥図巻」巻下 酒井抱一筆 江戸時代・文化15年(1818)





上下巻の下巻で、秋冬の花鳥が鮮やかな色彩で描かれています。
巻末に「文化戊寅晩春 抱一暉真写之」とあります。
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