東京
丸の内の三菱一号館美術館では「カンディンスキーと青騎士展」が開かれています。
会期は2011年2月6日までです。

「青騎士」とは、ヴァシリー・カンディンスキー(1866-1944)を中心に、
1911年から第一次世界大戦の始まる1914年まで、ミュンヘンで活動した
芸術家の集まりを言います。
ミュンヘン市立レンバッハハウス美術館所蔵のカンディンスキーと、
「青騎士」に集まった、ミュンター、ヤウレンスキー、ヴェレフキン、
マルク、マッケ、クレーらの作品、60点の展示です。
展示は以下の章に分かれています。
序章 フランツ・フォン・レンバッハ、フランツ・フォン・シュトゥックと
芸術の都ミュンヘン
第1章 ファーランクスの時代 旅の時代
第2章 ムルナウの発見 芸術的総合に向かって
第3章 抽象絵画の誕生 青騎士展開催へ
序章 フランツ・フォン・レンバッハ、フランツ・フォン・シュトゥックと
芸術の都ミュンヘン
フランツ・フォン・レンバッハ(1836-1904)は高名な肖像画家で、ミュンヘンの
邸宅兼アトリエは後にレンバッハハウス美術館となっています。
フランツ・フォン・シュトゥック(1863-1928)は象徴主義の画家で、
ミュンヘン美術アカデミーでカンディンスキーを教えています。
レンバッハとシュトゥックの作品が展示されています。
第1章 ファーランクスの時代 旅の時代
ロシア出身のカンディンスキーは妻と共にミュンヘンに来て、ミュンヘン
美術アカデミーに学んでいます。
そして1901年に「ファーランクス」というグループを結成します。
「ファーランクス」の美術学校に入学してきたガブリエーレ・ミュンター
(1877-1962)と親密な関係となったカンディンスキーはやがてミュンターと
ともに旅に出ます。
「花嫁」 ヴァシリー・カンディンスキー 1903年

大きな斑点を並べて、ロシア正教会を背景に置いた花嫁の姿を描いています。
アール・ヌーボーに似た装飾性も感じられます。
「ガブリエーレ・ミュンターの肖像」 ヴァシリー・カンディンスキー 1905年

カンディンスキーはあまり肖像画を描かなかったということですが、
これは珍しい作品です。
何となく不安げな顔をしています。
瞳とリボンは同じ薄緑色です。
抽象画で有名な画家ですが、写実的な技法も身に付けていたことが分かります。
第2章 ムルナウの発見 芸術的総合に向かって
カンディンスキーとミュンターはミュンヘン郊外のムルナウの美しさを発見して、
1908年にそこに住むことになります。
外面ではなく、感情を表そうとする表現主義の方向が明確になってくる時期です。
ムルナウにはロシア出身のアレクセイ・ヤウレンスキー(1865-1941)と
マリアンネ・フォン・ヴェレフキン(1860-1938)のカップルもやってきて、
4人はドイツ表現主義の方向を定めます。
1908年には「ミュンヘン新芸術家協会」が設立され、彼らはその中心メンバー
として活躍します。
これにフランツ・マルク(1880-1916)、アウグスト・マッケ(1887-1914)が
加わります。
「ムルナウ近郊の鉄道」 ヴァシリー・カンディンスキー 1909年

フォーヴィズム的な力強い色彩の対比で、汽車と景色を描いています。
汽車は黒く重々しく、建物の色は黒、青、橙、黄色と明快で、汽車の影も
面白い描き方をしています。
左下には白いハンカチを振っている女性も見えます。
第3章 抽象絵画の誕生 青騎士展開催へ
1911年に「ミュンヘン新芸術家協会」の展覧会でカンディンスキーの作品、
「コンポジションⅤ」が出展を拒否されます。
カンディンスキーの作品が抽象化していくのに対する協会内の穏健な
グループの反発によるものとのことです。
これをきっかけにカンディンスキーやミュンター、マルクらは脱退し、
自分たちの展覧会を開きます。
1912年にはカンディンスキーとマルクが中心となって、「青騎士」年鑑が発行され、
ヤウレンスキーらも参加します。
この「青騎士」グループの活動期間は短く、1914年の第一次世界大戦によって
終ってしまいます。
しかし、「青騎士」を中心とするドイツ表現主義は後の時代に大きな影響を
与えることになります。
「青騎士」年鑑表紙 1912年

ヴァシリー・カンディンスキー、フランツ・マルク編
1976年複製版です。
「印象 III(コンサート)」 ヴァシリー・カンディンスキー 1911年

パンフレットに使われている作品です。
コンサートの情景で、黒いかたまりはグランドピアノとのことです。
シェーンベルクのコンサートを聴いての感動を表した作品で、斜めの構図と
勢い良く塗られた原色が会場の高揚感を表しています。
ここまで来ると、抽象画まであと一歩といったところです。
「(コンポジションVII)のための習作2」 ヴァシリー・カンディンスキー 1913年

モスクワのトレチャコフ美術館にある、「コンポジションVII」の習作の一つで、
完成作に最も近いと言われています。
表現主義の特徴の強い色彩は続いていますが、音楽の感動そのものを絵にしていて、
抽象画となっています。
「牛、黄-赤-緑」 フランツ・マルク 1911年

マルクは動物好きだったということで、動物を描いた作品はその姿を実に
上手く捉えています。
色彩は観念的に使われ、雄牛は緑色、子牛は赤色、、雌牛は黄色をしています。
マルクによれば、黄色は女性的原理、柔和、朗らか、感性的なものを表している
とのことです。
結婚したばかりのマルクは、その喜びを飛び跳ねる雌牛で表現しています。
「虎」 フランツ・マルク 1912年

フォーヴィズムの色彩と、キュビズムの形が合わさっていますが、虎の姿は
的確に捉えられ、ちゃんと虎色をしています。
特に鋭い目が印象的です。
マルクは第一次世界大戦に出征し、ヴェルダンの戦いで戦死しています。
後に、ナチスが台頭した時、表現主義の作品はいわゆる「退廃芸術」として
排撃され、ヒトラーはマルクの絵を見て、「青い色の馬がいる筈がない」と
非難したということです。
ナチスの開いた「退廃芸術展」ではマルクの作品も展示されますが、
退役軍人たちが、戦死者の作品を晒しものにすることに抗議し、展示から
外されたそうです。
「遊歩道」 アウグスト・マッケ 1913年

湖畔の公園のひとときを単純化された形でさらりと描いています。
マッケの作品にはどれも穏やかな品の良さを感じます。
マッケも第一次世界大戦で戦死しています。
「スペインの女」 アレクセイ・ヤウレンスキー 1913年

ゴーギャンらの始めた、輪郭線を使うクロワゾニスムという様式で描かれています。
隈取をしたような顔、黒くボリュームのある髪、赤い花飾りには迫力があります。
ヤウレンスキーもナチスによって退廃芸術と見做され、作品は「退廃芸術展」に
展示されています。
カンディンスキーは晩年をフランスで過ごしますが、ナチスドイツがフランスを
占領すると、作品の発表を禁じられています。
カンディンスキーの作品をナチス時代も守り通したのはミュンターです。
戦時中は地下室に隠し続け、戦後になって他の「青騎士」のメンバーの作品や
資料とともにミュンヘン市に寄贈し、現在のレンバッハハウス美術館の
コレクションの元になっています。
「青騎士」の人たちは誰も苛烈な戦いを強いられていたことになります。
展覧会のHPです。
chariot
丸の内の三菱一号館美術館では「カンディンスキーと青騎士展」が開かれています。
会期は2011年2月6日までです。

「青騎士」とは、ヴァシリー・カンディンスキー(1866-1944)を中心に、
1911年から第一次世界大戦の始まる1914年まで、ミュンヘンで活動した
芸術家の集まりを言います。
ミュンヘン市立レンバッハハウス美術館所蔵のカンディンスキーと、
「青騎士」に集まった、ミュンター、ヤウレンスキー、ヴェレフキン、
マルク、マッケ、クレーらの作品、60点の展示です。
展示は以下の章に分かれています。
序章 フランツ・フォン・レンバッハ、フランツ・フォン・シュトゥックと
芸術の都ミュンヘン
第1章 ファーランクスの時代 旅の時代
第2章 ムルナウの発見 芸術的総合に向かって
第3章 抽象絵画の誕生 青騎士展開催へ
序章 フランツ・フォン・レンバッハ、フランツ・フォン・シュトゥックと
芸術の都ミュンヘン
フランツ・フォン・レンバッハ(1836-1904)は高名な肖像画家で、ミュンヘンの
邸宅兼アトリエは後にレンバッハハウス美術館となっています。
フランツ・フォン・シュトゥック(1863-1928)は象徴主義の画家で、
ミュンヘン美術アカデミーでカンディンスキーを教えています。
レンバッハとシュトゥックの作品が展示されています。
第1章 ファーランクスの時代 旅の時代
ロシア出身のカンディンスキーは妻と共にミュンヘンに来て、ミュンヘン
美術アカデミーに学んでいます。
そして1901年に「ファーランクス」というグループを結成します。
「ファーランクス」の美術学校に入学してきたガブリエーレ・ミュンター
(1877-1962)と親密な関係となったカンディンスキーはやがてミュンターと
ともに旅に出ます。
「花嫁」 ヴァシリー・カンディンスキー 1903年

大きな斑点を並べて、ロシア正教会を背景に置いた花嫁の姿を描いています。
アール・ヌーボーに似た装飾性も感じられます。
「ガブリエーレ・ミュンターの肖像」 ヴァシリー・カンディンスキー 1905年

カンディンスキーはあまり肖像画を描かなかったということですが、
これは珍しい作品です。
何となく不安げな顔をしています。
瞳とリボンは同じ薄緑色です。
抽象画で有名な画家ですが、写実的な技法も身に付けていたことが分かります。
第2章 ムルナウの発見 芸術的総合に向かって
カンディンスキーとミュンターはミュンヘン郊外のムルナウの美しさを発見して、
1908年にそこに住むことになります。
外面ではなく、感情を表そうとする表現主義の方向が明確になってくる時期です。
ムルナウにはロシア出身のアレクセイ・ヤウレンスキー(1865-1941)と
マリアンネ・フォン・ヴェレフキン(1860-1938)のカップルもやってきて、
4人はドイツ表現主義の方向を定めます。
1908年には「ミュンヘン新芸術家協会」が設立され、彼らはその中心メンバー
として活躍します。
これにフランツ・マルク(1880-1916)、アウグスト・マッケ(1887-1914)が
加わります。
「ムルナウ近郊の鉄道」 ヴァシリー・カンディンスキー 1909年

フォーヴィズム的な力強い色彩の対比で、汽車と景色を描いています。
汽車は黒く重々しく、建物の色は黒、青、橙、黄色と明快で、汽車の影も
面白い描き方をしています。
左下には白いハンカチを振っている女性も見えます。
第3章 抽象絵画の誕生 青騎士展開催へ
1911年に「ミュンヘン新芸術家協会」の展覧会でカンディンスキーの作品、
「コンポジションⅤ」が出展を拒否されます。
カンディンスキーの作品が抽象化していくのに対する協会内の穏健な
グループの反発によるものとのことです。
これをきっかけにカンディンスキーやミュンター、マルクらは脱退し、
自分たちの展覧会を開きます。
1912年にはカンディンスキーとマルクが中心となって、「青騎士」年鑑が発行され、
ヤウレンスキーらも参加します。
この「青騎士」グループの活動期間は短く、1914年の第一次世界大戦によって
終ってしまいます。
しかし、「青騎士」を中心とするドイツ表現主義は後の時代に大きな影響を
与えることになります。
「青騎士」年鑑表紙 1912年

ヴァシリー・カンディンスキー、フランツ・マルク編
1976年複製版です。
「印象 III(コンサート)」 ヴァシリー・カンディンスキー 1911年

パンフレットに使われている作品です。
コンサートの情景で、黒いかたまりはグランドピアノとのことです。
シェーンベルクのコンサートを聴いての感動を表した作品で、斜めの構図と
勢い良く塗られた原色が会場の高揚感を表しています。
ここまで来ると、抽象画まであと一歩といったところです。
「(コンポジションVII)のための習作2」 ヴァシリー・カンディンスキー 1913年

モスクワのトレチャコフ美術館にある、「コンポジションVII」の習作の一つで、
完成作に最も近いと言われています。
表現主義の特徴の強い色彩は続いていますが、音楽の感動そのものを絵にしていて、
抽象画となっています。
「牛、黄-赤-緑」 フランツ・マルク 1911年

マルクは動物好きだったということで、動物を描いた作品はその姿を実に
上手く捉えています。
色彩は観念的に使われ、雄牛は緑色、子牛は赤色、、雌牛は黄色をしています。
マルクによれば、黄色は女性的原理、柔和、朗らか、感性的なものを表している
とのことです。
結婚したばかりのマルクは、その喜びを飛び跳ねる雌牛で表現しています。
「虎」 フランツ・マルク 1912年

フォーヴィズムの色彩と、キュビズムの形が合わさっていますが、虎の姿は
的確に捉えられ、ちゃんと虎色をしています。
特に鋭い目が印象的です。
マルクは第一次世界大戦に出征し、ヴェルダンの戦いで戦死しています。
後に、ナチスが台頭した時、表現主義の作品はいわゆる「退廃芸術」として
排撃され、ヒトラーはマルクの絵を見て、「青い色の馬がいる筈がない」と
非難したということです。
ナチスの開いた「退廃芸術展」ではマルクの作品も展示されますが、
退役軍人たちが、戦死者の作品を晒しものにすることに抗議し、展示から
外されたそうです。
「遊歩道」 アウグスト・マッケ 1913年

湖畔の公園のひとときを単純化された形でさらりと描いています。
マッケの作品にはどれも穏やかな品の良さを感じます。
マッケも第一次世界大戦で戦死しています。
「スペインの女」 アレクセイ・ヤウレンスキー 1913年

ゴーギャンらの始めた、輪郭線を使うクロワゾニスムという様式で描かれています。
隈取をしたような顔、黒くボリュームのある髪、赤い花飾りには迫力があります。
ヤウレンスキーもナチスによって退廃芸術と見做され、作品は「退廃芸術展」に
展示されています。
カンディンスキーは晩年をフランスで過ごしますが、ナチスドイツがフランスを
占領すると、作品の発表を禁じられています。
カンディンスキーの作品をナチス時代も守り通したのはミュンターです。
戦時中は地下室に隠し続け、戦後になって他の「青騎士」のメンバーの作品や
資料とともにミュンヘン市に寄贈し、現在のレンバッハハウス美術館の
コレクションの元になっています。
「青騎士」の人たちは誰も苛烈な戦いを強いられていたことになります。
展覧会のHPです。
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青い騎士展覧会の様子楽しく拝見しました。私はマルクが戦時中に書いたというスケッチが見られるなら、この展覧会に行きたいと思っているのですが、そういうものは展示されていましたか?
お褒めのお言葉、恐縮です。
また、かんべえさんのドイツで撮られたお写真で勉強させていただきたいと思います。
また、かんべえさんのドイツで撮られたお写真で勉強させていただきたいと思います。
chariotさん、こんにちは。
先日の記事でこの展覧会にいらしたことが触れられてて、レポアップをお待ちしていました。
我が身を省みると余計に身に沁みるのですが、chariotさんの記事はいつもすっきりと内容がわかり、しかも全体像がよく見通せ、さらに愛情がこもっていて、これから行こうかなと思うひとにはもちろん、すでに行って追体験したい場合にもいいなあ~と感じ入りました。
先日の記事でこの展覧会にいらしたことが触れられてて、レポアップをお待ちしていました。
我が身を省みると余計に身に沁みるのですが、chariotさんの記事はいつもすっきりと内容がわかり、しかも全体像がよく見通せ、さらに愛情がこもっていて、これから行こうかなと思うひとにはもちろん、すでに行って追体験したい場合にもいいなあ~と感じ入りました。
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blog_name=【映画的・絵画的・音楽的】 ♥ 「カンディンスキーと青騎士」展
さて、昨日の記事から持ち越しになっていたカンディンスキーです。
なんと、映画『しあわせの雨傘』の登場人物の口からカンディンスキーの名前が飛び出し、更には、彼の絵をこともあろうに雨傘の図柄に取り入れようともするのです!
折よく、「カンディンスキーと青...
【2011/01/30 07:29】
【2011/01/30 07:29】
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カンディンスキー(1866-1944)には、並々ならぬ思い入れがある。
パウル・クレーへの思い入れもかなりのものだが、展覧会として先に体験したのはカンディンスキーだ。
思えば、2002年に東近美の50周年...
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【2011/01/19 22:55】
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三菱一号館美術館で開催中の
レンバッハハウス美術館所蔵「カンディンスキーと青騎士」展にお邪魔して来ました。
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【2010/11/30 22:43】
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展示されているマルクの作品は「牛、黄-赤-緑」 「虎」と、1909年の油彩画、「薄明のなかの鹿」の3点です。
残念ながら、スケッチは展示されていません。