京橋・東京
京橋のブリヂストン美術館では「コレクション展示:なぜ、これが傑作なの?」が
開かれています。
会期は4月16日までです。

美術館の所蔵作品のうち代表的な12点を取り上げ、解説を添えて、同じ画家の
他の作品とともに展示しています。
オーギュスト・ルノワール 「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」
1876年

ブリヂストン美術館を代表する作品で、1階のカフェ、「ジョルジェット」も
彼女の名前に由来します。
印象派時代のまだ絵の売れないルノワールに最初に注目したのが、出版業を営む
ジョルジュ・シャルパンティエです。
この作品は彼の依頼で自宅を訪問し、当時4歳の娘を描いたものです。
濃い色の背景の中で、白い肌や水色の服は輝き、浮き立って見えます。
足の届かない、大人用の椅子に座ることで可愛さを強調しています。
この絵はシャルパンティエ夫妻の気に入り、後には「シャルパンティエ夫人と
子どもたち」を描くことになります。
エドゥアール・マネ 「自画像」 1878-79年

晩年の自画像ですが、鏡を見て描いているので、上着のボタンが左右逆に
なっています。
また、マネはこの頃から左足を悪くしているので、この絵のように左足に
重心を置くことは出来なかったそうで、鏡を見て描いたことが分かります。
両腕は未完成のようで、少し形が不自然です。
自信ありげな姿勢と顔付きをしていて、画家としての地位を確立したマネの
気持ちが出ています。
2010年の横浜美術館での「ドガ展」に、マネ夫妻を描いた絵が展示されて
いましたが、マネの自画像に比べるとかなり勇猛な顔をしています。
マネの自己認識とドガの冷徹な観察眼の違いでしょう。
ポール・セザンヌ 「帽子をかぶった自画像」 1890-94年頃

55歳頃の自画像とのことです。
セザンヌは30点ほどの自画像を遺していて、筆の遅いセザンヌにとって
具合の良い画題だっととのことです。
1点描くのに何ヶ月もかかるのではモデルになってくれる人はあまりいない
でしょう。
ある画商がモデルになった時、動いたら、「リンゴが動くか!」と怒られた
そうですから、気長に付き合ってくれる自分は良いモデルだったことでしょう。
時間をかけているだけあって、画面はがっちりとして揺るぎがありません。
それでもまだ塗り残しがあるので、どれだけゆっくり筆を運んでいるのだろうかと
思います。
ポール・セザンヌ 「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」
1904-06年頃

セザンヌの風景画といえば、サント=ヴィクトワール山で、故郷のプロヴァンス
地方を代表する山です。
シャトー・ノワールとは黒い城という意味で、サント=ヴィクトワール山と
シャトー・ノワールを共に描いた作品は少ないそうです。
頑固なほどにどっしり安定していて、対象の本質を描こうとしたセザンヌらしい
風景画です。
クロード・モネ 「黄昏、ヴェネツィア」 1908年頃

2番目の妻、アリスとヴェネツィアを訪れた時の作品とのことです。
空と海が溶け合い、虹のように輝いています。
尖塔のあるシルエットがサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会で、解説によれば
右側にぼんやり見えるのがサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂とのことです。
解説でもどこでこの絵を描いたのか推測していましたが、グーグルアースを使い、
日の沈む方向を考えてたどってみると、なるほどモネはこの辺りから見たのだなと
分かって面白いです。
アンリ・マティス 「縞ジャケット」 1914年

長女のマルグリット、20歳を描いています。
激しい色彩のフォーヴィズム時代が終わり、実験的な時代の作品とのことです。
色彩も筆遣いも軽やかで心地良く、マティスの特質が表れています。
パブロ・ピカソ 「腕を組んですわるサルタンバンク」 1923年

パンフレットに使われている作品です。
ピカソもよく画風の変わる人ですが、第一次世界大戦中に訪れたイタリアで観た
古典文化にインスピレーションを受け、それ以前のキュビズムから新古典主義に
移った時代の作品です。
古代彫刻のような顔立ちで端然と腰かけていて、色彩も明快です。
解説によればサルタンバンクとは大道芸を行なう最下層の芸人で、フェデリコ・
フェリーニ監督の映画、「道」でアンソニー・クインが演じていた大道芸人も
それだということです。
「道」でアンソニー・クインは粗野でうらぶれた、しがない芸人を演じていました。
この作品のサルタンバンクの持つ雰囲気はかなり異なり、静かで安定していて、
高貴さも漂わせています。
ピカソの自画像の一種でもあるとのことですが、うなずける話です。
元はピアニストのホロヴィッツの居間を飾っていて、ブリヂストン美術館は
1980年にオークションで入手したとのことです。
パウル・クレー 「島」 1932年

題名は「島」ですが、抽象画ですから観る方も観たいように観て、好きなように
感じれば良さそうです。
パウル・クレーは音楽も得意で、音楽を絵の中に取り入れる工夫をしていたとの
ことです。
細かい粒の連続、変化する色彩、流れる描線に音楽を感じることも出来そうです。
パウル・クレーの絵には無邪気な楽しさがあります。
ジャクソン・ポロック 「Number 2, 1951」 1951年

ジャクソン・ポロックはアクションペインティングの画家として有名です。
キャンバスを床に寝かせて、上から絵具を滴らせて描くという方法で、何かを
描くのではなく、描くという行為そのものに意味を持たせています。
題名も、何を描いたかの手がかりにはならず、いつ描いたのかが分かるだけです。
だとすると、作品を鑑賞する人は戦いの後の古戦場を眺めていることになる
のでしょうか。
藤島武二 「黒扇」 1908-09年

亡くなる前年の藤島武二が親交の深かった石橋正二郎に託した作品の中の1点との
ことです。
イタリア留学中の作品で、晩年、病床にあった藤島武二のアトリエでお弟子さんが
偶然発見しています。
絵の存在を忘れていた藤島武二は非常に喜び、いつも腹ばいになってこの絵を
観ていたそうです。
作品が譲られたいきさつについては、ブリヂストン美術館のHPにある石橋正二郎の
挨拶文で触れられています。
古典的な描き方の作品ですが、筆遣いに勢いがあり、ショールは白く輝き、
青い眼も印象的です。
藤島武二にとってさまざまの思い出のこもった絵なのでしょう。
小出楢重 「帽子をかぶった自画像」 1924年

小出楢重の自画像は8点あり、全身像はこの作品だけとのことです。
大阪在住の小出楢重は関東大震災によって東京が壊滅した時、自分の所属する
二科会を大阪でリードしようと奮闘しています。
信濃橋洋画研究所を設立し、最初の夏季講習を開いていた頃の作品とのことです。
夏物の背広を着て絵筆を持ち、イーゼルの前に立つ姿は颯爽としています。
ラッパと黒い帽子はフランスで買ったもので、お気に入りの品とのことです。
小出楢重には、このラッパと息子を描いた、「ラッパを持てる少年」があり、
東京国立近代美術館が所蔵しています。
出世作となった、暗くて不機嫌そうな「Nの家族」や、不気味な雰囲気の漂う、
絶筆の「枯木のある風景」とはかなり違い、いかにも脂の乗った感じがします。
1931年に亡くなった小出楢重にとって、この頃は絶頂期だったのでしょう。
岡鹿之助 「雪の発電所」 1956年

岡鹿之助は心象風景を描いた画家とのことですが、この作品は実景に基く
風景画です。
モデルは志賀高原にある中部電力平穏第一発電所で、1926年に稼動を始めた
現役の発電所です。
制作の過程を書いた文章が残っていて、それによると導水管や稜線の作る斜線と、
雪の積もった水平線で構成し、それだけでは単調になるので、電柱の垂直線を
加えたそうです。
実景によりながらも色々と構図を考えて緊密な画面構成をしていることが
分かります。
見慣れた作品も詳しい解説があると理解が深まり、新しい発見もあって、
観る楽しみが増えます。
chariot
京橋のブリヂストン美術館では「コレクション展示:なぜ、これが傑作なの?」が
開かれています。
会期は4月16日までです。

美術館の所蔵作品のうち代表的な12点を取り上げ、解説を添えて、同じ画家の
他の作品とともに展示しています。
オーギュスト・ルノワール 「すわるジョルジェット・シャルパンティエ嬢」
1876年

ブリヂストン美術館を代表する作品で、1階のカフェ、「ジョルジェット」も
彼女の名前に由来します。
印象派時代のまだ絵の売れないルノワールに最初に注目したのが、出版業を営む
ジョルジュ・シャルパンティエです。
この作品は彼の依頼で自宅を訪問し、当時4歳の娘を描いたものです。
濃い色の背景の中で、白い肌や水色の服は輝き、浮き立って見えます。
足の届かない、大人用の椅子に座ることで可愛さを強調しています。
この絵はシャルパンティエ夫妻の気に入り、後には「シャルパンティエ夫人と
子どもたち」を描くことになります。
エドゥアール・マネ 「自画像」 1878-79年

晩年の自画像ですが、鏡を見て描いているので、上着のボタンが左右逆に
なっています。
また、マネはこの頃から左足を悪くしているので、この絵のように左足に
重心を置くことは出来なかったそうで、鏡を見て描いたことが分かります。
両腕は未完成のようで、少し形が不自然です。
自信ありげな姿勢と顔付きをしていて、画家としての地位を確立したマネの
気持ちが出ています。
2010年の横浜美術館での「ドガ展」に、マネ夫妻を描いた絵が展示されて
いましたが、マネの自画像に比べるとかなり勇猛な顔をしています。
マネの自己認識とドガの冷徹な観察眼の違いでしょう。
ポール・セザンヌ 「帽子をかぶった自画像」 1890-94年頃

55歳頃の自画像とのことです。
セザンヌは30点ほどの自画像を遺していて、筆の遅いセザンヌにとって
具合の良い画題だっととのことです。
1点描くのに何ヶ月もかかるのではモデルになってくれる人はあまりいない
でしょう。
ある画商がモデルになった時、動いたら、「リンゴが動くか!」と怒られた
そうですから、気長に付き合ってくれる自分は良いモデルだったことでしょう。
時間をかけているだけあって、画面はがっちりとして揺るぎがありません。
それでもまだ塗り残しがあるので、どれだけゆっくり筆を運んでいるのだろうかと
思います。
ポール・セザンヌ 「サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」
1904-06年頃

セザンヌの風景画といえば、サント=ヴィクトワール山で、故郷のプロヴァンス
地方を代表する山です。
シャトー・ノワールとは黒い城という意味で、サント=ヴィクトワール山と
シャトー・ノワールを共に描いた作品は少ないそうです。
頑固なほどにどっしり安定していて、対象の本質を描こうとしたセザンヌらしい
風景画です。
クロード・モネ 「黄昏、ヴェネツィア」 1908年頃

2番目の妻、アリスとヴェネツィアを訪れた時の作品とのことです。
空と海が溶け合い、虹のように輝いています。
尖塔のあるシルエットがサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会で、解説によれば
右側にぼんやり見えるのがサンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂とのことです。
解説でもどこでこの絵を描いたのか推測していましたが、グーグルアースを使い、
日の沈む方向を考えてたどってみると、なるほどモネはこの辺りから見たのだなと
分かって面白いです。
アンリ・マティス 「縞ジャケット」 1914年

長女のマルグリット、20歳を描いています。
激しい色彩のフォーヴィズム時代が終わり、実験的な時代の作品とのことです。
色彩も筆遣いも軽やかで心地良く、マティスの特質が表れています。
パブロ・ピカソ 「腕を組んですわるサルタンバンク」 1923年

パンフレットに使われている作品です。
ピカソもよく画風の変わる人ですが、第一次世界大戦中に訪れたイタリアで観た
古典文化にインスピレーションを受け、それ以前のキュビズムから新古典主義に
移った時代の作品です。
古代彫刻のような顔立ちで端然と腰かけていて、色彩も明快です。
解説によればサルタンバンクとは大道芸を行なう最下層の芸人で、フェデリコ・
フェリーニ監督の映画、「道」でアンソニー・クインが演じていた大道芸人も
それだということです。
「道」でアンソニー・クインは粗野でうらぶれた、しがない芸人を演じていました。
この作品のサルタンバンクの持つ雰囲気はかなり異なり、静かで安定していて、
高貴さも漂わせています。
ピカソの自画像の一種でもあるとのことですが、うなずける話です。
元はピアニストのホロヴィッツの居間を飾っていて、ブリヂストン美術館は
1980年にオークションで入手したとのことです。
パウル・クレー 「島」 1932年

題名は「島」ですが、抽象画ですから観る方も観たいように観て、好きなように
感じれば良さそうです。
パウル・クレーは音楽も得意で、音楽を絵の中に取り入れる工夫をしていたとの
ことです。
細かい粒の連続、変化する色彩、流れる描線に音楽を感じることも出来そうです。
パウル・クレーの絵には無邪気な楽しさがあります。
ジャクソン・ポロック 「Number 2, 1951」 1951年

ジャクソン・ポロックはアクションペインティングの画家として有名です。
キャンバスを床に寝かせて、上から絵具を滴らせて描くという方法で、何かを
描くのではなく、描くという行為そのものに意味を持たせています。
題名も、何を描いたかの手がかりにはならず、いつ描いたのかが分かるだけです。
だとすると、作品を鑑賞する人は戦いの後の古戦場を眺めていることになる
のでしょうか。
藤島武二 「黒扇」 1908-09年

亡くなる前年の藤島武二が親交の深かった石橋正二郎に託した作品の中の1点との
ことです。
イタリア留学中の作品で、晩年、病床にあった藤島武二のアトリエでお弟子さんが
偶然発見しています。
絵の存在を忘れていた藤島武二は非常に喜び、いつも腹ばいになってこの絵を
観ていたそうです。
作品が譲られたいきさつについては、ブリヂストン美術館のHPにある石橋正二郎の
挨拶文で触れられています。
古典的な描き方の作品ですが、筆遣いに勢いがあり、ショールは白く輝き、
青い眼も印象的です。
藤島武二にとってさまざまの思い出のこもった絵なのでしょう。
小出楢重 「帽子をかぶった自画像」 1924年

小出楢重の自画像は8点あり、全身像はこの作品だけとのことです。
大阪在住の小出楢重は関東大震災によって東京が壊滅した時、自分の所属する
二科会を大阪でリードしようと奮闘しています。
信濃橋洋画研究所を設立し、最初の夏季講習を開いていた頃の作品とのことです。
夏物の背広を着て絵筆を持ち、イーゼルの前に立つ姿は颯爽としています。
ラッパと黒い帽子はフランスで買ったもので、お気に入りの品とのことです。
小出楢重には、このラッパと息子を描いた、「ラッパを持てる少年」があり、
東京国立近代美術館が所蔵しています。
出世作となった、暗くて不機嫌そうな「Nの家族」や、不気味な雰囲気の漂う、
絶筆の「枯木のある風景」とはかなり違い、いかにも脂の乗った感じがします。
1931年に亡くなった小出楢重にとって、この頃は絶頂期だったのでしょう。
岡鹿之助 「雪の発電所」 1956年

岡鹿之助は心象風景を描いた画家とのことですが、この作品は実景に基く
風景画です。
モデルは志賀高原にある中部電力平穏第一発電所で、1926年に稼動を始めた
現役の発電所です。
制作の過程を書いた文章が残っていて、それによると導水管や稜線の作る斜線と、
雪の積もった水平線で構成し、それだけでは単調になるので、電柱の垂直線を
加えたそうです。
実景によりながらも色々と構図を考えて緊密な画面構成をしていることが
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昨年、足を運んでじっくり鑑賞しましたが、今回の企画により、もっと深く味わう事が出来そうですね。著名な画家の作品を東京駅前近くでまとめて観れるありがたさは貴重ですね。いきなりロダンの彫刻に出会う設定も印象的でした。
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blog_name=【とんとん・にっき】 ♥ ブリヂストン美術館で「コレクション展:なぜ、これが傑作なの?」展を観た!
「コレクション展示:なぜ、これが傑作なの?」チラシ
「ブリヂストン美術館」外観
「ブリヂストン美術館」外観
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ブリヂストン美術館で開催中の
企画展示「なぜ、これが傑作なの?」に行って来ました。
昨年末ご紹介した通り、今年2011年度ブリヂストン美術館では、例年になく数多くの特別展が予定されています。
→ブリヂストン美術館2011年展覧会スケジュール
特別展示「...
【2011/01/30 21:49】
【2011/01/30 21:49】
時々ギャラリートークも聴きますが、なるほどと感心することが多く、行くのを楽しみにしています。
1階のカフェ、「ジョルジェット」も魅力があります。